532 「恨みを乗り越え、創造的に」・・・「ニーチェ『ツァラトゥストラ』(NHK100分de名著)」(西研著、NHK出版、2011年)

 

 「あの人のしたあのことは赦せない」「あの人があんなことをしなければ、ぼくはこんなひどい目に遭うことはなかった」「ぼくは苦しい。あの人にあれだけは認めさせて謝らせるしかない」

 

 こういう恨み言、復讐心、ニーチェの言葉ではルサンチマン、を持ちつづけていると、西研さんの言い方では、わたしたちは「自分を腐らせてしまう」(p.29)のです。その結果、人生を、創造的に生きることができません。しかしルサンチマンに浸って何もせずにいたり、むしろ、破壊したりするよりも、自分が喜べるような新しい何かを創造していく、べつに何かを創らなくても、前向きに生きていく方が人生はよほどゆたかになるのです。

 「もしもっと人がぼくを認めていたら」「もっと社会や組織がまともであれば」と毒を吐くのではなく、「自分の人生を『これでよし、もう一度』と肯定する」(p.66)ことが、ニーチェの言う永遠回帰の要だと西さんは言います。

 そんなことはできない、こんな人生をもう一度、いわんや、永遠に繰り返すなんてごめんだ、とぼくなどは思いますが、西さんによれば、「人生のなかで一度でもほんとうに素晴らしいことがあって、心から生きていてよかったと思えるならば、もろもろの苦悩も引き連れてこの人生を何度も繰り返すことを欲しうる」(p.66)のです。

 それから、自分の人生を呪うならば呪うべきだ、ともニーチェは言っているそうです。そう言ってもらうと、永遠回帰の考え方との距離が縮まる気がします。呪ってもよい、しかし、「一つでも心からうれしいことがあって『然り(イエス)』といったならば、ほかの苦悩もひきつれて、この人生に『然り』と言ったことになる」(p.77)というのです。

 

 ところで、ルサンチマンに負けないとか、人生のたった一度の良かったことを受け入れるとかはよいのですが、ニーチェの言う「強者」や「超人」の考え方にはすこし問題もあると西さんは言います。

 

 ルサンチマンを乗り越える創造性は、孤立よりも「語り合う関係」(p.94)から生まれるものだと。そうであれば、ニヒルにも思える姿を取らないでもニーチェの思想を受け継ぐことができる可能性が開かれることでしょう。ルサンチマン抜きで語り合える人がいれば。いや、ひとりやふたりはいるし、すこし嫌なことがあった人とでも嫌なことなしに過ごせる時間もあったではないですか。

 

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