人が不幸になる――幸福になれない――のは、「情念」に支配されているからだとアランは言います。情念を制御するには「高邁の心」が必要ですが、これは傲慢にもならず卑下もせず自分を大事にする心のことです。「悲観主義は感情で、楽観主義は意志の力による」という「幸福論」の一節は、この消息を端的に伝えています。
アランはまた「遠くを見よ」と言います。自分の気分とかそれにかかわる周りのこと、近くの人のことに心を奪われず、もっと大きな世界を想え、ということでしょうか。
幸福論にこのような一節があります。「死者たちは死んではいない・・・死者たちは考え、語り、行動している。助言し、欲し、承認することができる・・・それに耳を傾けなくてはならない」
自分の脳内にうずまく情念や日常の一つ一つの出来事に一喜一憂するのではなく、顔を上げ、遠くを見ること、近くにいる腹立たしい人々ではなく、遠くにいる情念から解放された人々を見、情念のぶつけ合いではなく精神の対話をすることで、わたしたちも情念から一歩外に歩み出ることができるのかもしれません。