詩人の生まれるひと月前に、父は、「心をおだやかに」と母とお腹の子のために、祈ってくれたと言います。「その祈りはおだやかとものどかとも云えぬ私の一生をいつもフットライトのように見えぬ角度から照射していたのにちがいなく」(p.118)。祈りとは、叶わせるというよりは、照らすものなのでしょう。
「船が蹴たてている白い長い泡だち/それは無窮の海と云うものの一番めざめている部分だ/私の中の苦しみが/私をゆすりさますと同じに」(p.14)。
泡だちと苦しみの深いところには、祈りにも似た無窮の海があります。
「額に光をはめて、暗黒へ降りていく鉱夫(※そのまま引用しました)のように進んでいくのが詩人だ」
詩は祈りです。そして、祈りは闇路の光です。暗黒の底には黒いダイヤモンドが横たわっています。
「すべての詩は祈願の心に要約される。たとえ感情の種々の要素が詩の上に花咲いても、一番深い所にナムと云う声がある」(p.29)。
南無。アーメン。然り。
「若いイチョウの木やユリの木は、もし私がその木だったらあのように枝をのばすだろう、と思う風に好ましく自由に枝をのばしています・・・私は朝の光の中でその緑を、あるいは黄葉を満喫し、そしてその時、私の書きたいと思う事を心の中でつかむのでした」(p.205)。
朝、窓に大樹と向こうが丘を眺めながら、深呼吸をしています。おだやかとものどかとも云えぬものを吐き出して、おだやかに、ナム、アーメンという祈りが湧き上がってくるのを待ちながら。