374  「そのものの本質であるような矛盾に感動し、非常識に表現する」

「現代詩入門」(吉野弘青土社、2014年)

 吉野弘さんの詩は平易な言葉で綴られているとよく評されていますが、この本は、そうでもないのかも知れません。というのは、ぼくは、大事だと思ったセンテンスに、たいていは黄色の蛍光線を引きながら本を読むのですが、この本を読み終えて、あらためて、扉からめくり直してみると、イエローラインがほとんどないのです。平易な表現でないとぼくには理解できず、大事だとも思えないので、この本は、そんなに平易でなかったのかも知れません。もっとも、ぼくのこの本の読み方は、もっぱら寝しなに眠さをこらえて、どうにか一頁ずつくらい読むというスタイルだったせいもあるかも知れません。現代詩についての、吉野さんのいくつかのエッセイをまとめた一冊です。

 それでも、何本かの黄色線を拾い集めてみましょう。

「多分、詩の発生は、対象へのほめ言葉だろうと思われる。そして、ほめ言葉は、いつも常識的表現を喜ばない」(p.75)。

 なるほど。参考になります。ぼくも売れない文を書いていますが・・・一部は給料の一部として、一部は売れたら良いなと思いながら書いていますが、「対象へのほめ言葉」、つまり、観たもの、触れたもの、聞いたもの、感じたものを「美しい」「すばらしい」と心底感動し、それを「非常識」な言葉や文で表現することが大事だったのですね。ただし、「非常識」でも、吉野さんの詩のように「平易」と思われることもまた大切なのでしょう。

「言葉に一つの意味しか感じられないとき、何事も生じません。矛盾した意味、異なった意味が加わったとき、ことばはそそけ立ち、異質な要素との間にスパークを発します。この『矛盾の共材』の発するスパークを『ポエジイ』と呼びます」(p.228)。

 ぼくも、多義性を好みます。あまり、一義的に定義される言葉遣いをしたくないのです。含みを持たせた表現をしたいと思います。もっと言えば、表現のみならず、表現に載せられたメッセージも両義的でありうると思います。ただ、これもぼくみたいな下手くその手にかかると、スパークどころか、ぼけてしまうだけで、火が熾らない湿気たBBQ木炭のようになってしまいます。

 「一気に詩を書くことは、出来ればやめていただきたいのです。一度そっくり突き離して、忘れてしまうことです。実は、この、忘れている間に、詩が次第に形成されてゆくのです。忘れているようでいて、結局は無意識のうちに、最初の困惑の中の、本質的なものを探しているのです。こうした辛抱強い時間が、必要な意味を洗い出してくれます」(p.246)。

 たしかにそのとおりです。けれども、ぼくの場合、毎週締め切りが来ますから、あまり辛抱できません。せいぜい、素材を反復して読み、つぎに、思うことをメモし、そこで、しばらく寝転がるとか、家の周りをほうきで掃くとか、その程度です。それでも、少しですが、浮かび上がって来るものはありますね。

 最後に、吉野さんは詩作を促すものを「矛盾がその本質をなしているような事物・観念」(p.251)とまとめています。

詩的な文章を書きたいならば、あるいは、詩のように人のこころを揺らす言葉を紡ぎたいならば、矛盾が本質であるようなことがらを探せば良いのですね。ぼくらのようにあるテキストを料理して話すことを生業とする者も、そのテキストに含まれる矛盾、しかも、それがそのテキストの核となるメッセージであるような矛盾はないか、というガイドラインを持つと、あの苦しみが少しだけ平易になるかもしれません。

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