ハポ(かあちゃん)はアイヌの地の旅籠の納屋でおらを産んで、チカップと名付けてくれました。父はニホン人のようですが、誰だかわかりません。じつはほかのこともほとんどわかりません。だけど、ジュリアン兄しゃまがほんのすこしだけ誰かから聞いたことをもとに、チカとハポの話を考えては話し、考えては話し、してくれたのです。ビブリヤ(聖書)もヒントにしたのかも知れません。
チカの本当の名前はチカップです。鳥という意味です。だけど、皆、おらをチカと呼びます。ニホンのおなごの名前として通じるからでしょうか。それとも、イスパニアの言葉では、チカはおなごのことだからでしょうか。パードレ(神父さま)はチカを「あんじょ」(エンジェル、天使)と呼んでくれました。チカップもあんじょも空を飛べます。
チカはパードレの学校に行くジュリアン兄しゃまと一緒にアイヌの地からヒラド、そして、マカオに行きました。すごい嵐や病気があったのに、何とか辿り着きました。チカはマカオのきりしたんたちに助けられ、育てられました。童だったチカもおとなに近づきました。だけど、マカオを離れなければならないことになり、兄しゃまとも・・・。
ジャワからチカは兄しゃまに手紙を書きました。兄しゃま、どうしていますか。ニホンできりしたんの反乱があったといううわさがここにも届きました。もしかしたら、兄しゃまがその大将だったのではありませんか。兄しゃまは、どこでチカの手紙を読んでくれているのでしょうか。もしかしたら、パライソでしょうか。
チカは童のころからマカオを出るまで、ずっと、兄しゃまや、朝鮮人でニホン人の奴隷にされていたペトロさま、カタリナさまたち、きりしたんと一緒でした。パードレは「耳も聞こえん、口もきけん(じつはそうじゃないのですが)、チカのような半分えぞの子どもには、おらしょ(祈祷文)なんぞ必要ないのさ、はじめからデウス(神)さまがとくべつに守っていてくださる」と言ってくださいました。
「悲しみに充ちたマリアさまの絵を、チカは忘れられ」ません。ペトロさまは言いました。「このように身分の低い自分たちにも、デウスのお恵みによって永遠のあにま(たましい)が与えられている、いったん、そう教えられたら、なにが起ころうと、そのあにまを忘れることもできない」。
チカはほんもののきりしたんではないかも知れません。でもペトロさまは、チカが童のとき、パードレに大事に抱かれ、チカも安心しきっていた、あれがあもる(愛)だと思う、あれでじゅうぶんだと言ってくれました。そういえば、あのときチカは、どうして自分からパードレにしがみついて、離れなかったのでしょう。あもるのなせるふしぎだったのでしょうか。
でも、チカはアイヌでもあります。チカップというアイヌの名前をハポからもらってよかった、ニホン人の名前をつけられなくてよかったと思っています。ジュリアン兄しゃまは「チカと出会って、はじめてえぞ人は、自分たちのことばを持ち、歌を持ち、ミヤコ生まれのジュリアンに負けない考える力を持っていることを」知ったのです。
「えぞ人はニホン人とちがって、よそ者をいじめはしないし、生きるすべを知らず、死にそうになっているひとがいれば、食べ物を分け与え、自分たちの住まいにしばらく置いてやる。だから、えぞ人のいるところなら、行き倒れが出るはずがない」とチカは確信しています。チカはイザベラというきりしたんの名前で尼寺に入れ、とジュリアン兄しゃまは言ってくださいましたが、チカは「いんにゃ、おら、そいはいやじゃな。おらはチカップっちゅう名前を、ハポからもろうとる」と答えました。
アイヌの地を離れ、兄しゃまと別れ、もう何年経ったでしょうか。チカは兄しゃまに会いたいし、アイヌの地に帰りたいのです。だけど、チカはもうおばあちゃんになり、荒海の船の長旅はとてもできません。どうしたらよいのでしょうか。
チカはあることを思いつきました。チカにはジャワで産まれた三人の子どもがいます。ニホンの言葉にすれば、風と蝉と心という意味の名前をハポがそっと教えてくれました。風も蝉も心も、また、チカップやあんじょのようにひとつところに縛られません。
兄しゃま、そして、チカも、透明になっていきます。チカはもう鳥のように、いんにゃ、鳥になってどこにでも行けるのです。