333  「流刑の国民詩人」 「プーシキン詩集」(金子幸彦訳、岩波文庫、1953年)

「しずかに 詩人は いきを 引き取った」

19世紀のロシアの国民詩人、プーシキンは、決闘による重傷で息を引き取った、とこの本の解説は伝えています。けれども、それは、けっして詩人が血気盛んだったことを意味しません。

それは、むしろ、皇帝から迫害された人生の末路でした。二十代前半、ロシアの人びとの自由を求める(皇帝から見れば)「不穏な詩」を書き続けた詩人は、皇帝により、官吏の職を奪われ、流刑に処せられます。

その後、詩人の国民的人気に配慮した皇帝は流刑を解きますが、宮廷内の低い職につけ、詩人を侮辱します。

やがて、詩人の妻にひとりの近衛士官が無遠慮に求愛するようになり、決闘を避ければ詩人は臆病者呼ばわりされる空気が作り上げられます。軍人の剣に敵うはずがなく、決闘は死を意味するのですが、皇帝も助けることはありませんでした。彼の遺骸にわかれを告げる人びとは五万人に達したと言います。

この詩人を訳者は「文学が国民の感情や思想の表現者として、社会の精神的発達の上に重要な意義をもつことをはっきりと自覚した最初のロシヤ詩人」(p.215)と評しています。

この詩集には、流刑を題材にした詩が、とうぜん、何編も収められています。

「人里はなれたくらい配流の地に、わたしの日々はしずかに流れた。感激もなく、霊感もなしに、なみだも、生活も、愛もなかった。そのとき心はめざめた。ふたたび君が現われた。つかのまのまぼろしのように、きよらかな美の精霊のように」(p.94)。

この「君」とは誰のことなのでしょうか。

「日々のいのちの営みがときにあなたを欺いたとて、悲しみを、またいきどおりを抱いてはいけない。悲しい日にはこころをおだやかにもちなさい。きっとふたたびよろこびの日がおとずれるから」(p.95)。

詩人は流刑の地でこういう心境だったのでしょうか。それとも自分にそう言い聞かせて耐え忍んだのでしょうか。

詩人が言葉を届けようとしている先は、神でしょうか。あるいは、愛しい人、あるいは、ロシヤの人びとでしょうか。

「わたしもまたけがれなき心をこめて、わたしのなえ、色あせた、つつましき花の冠をあなたにささげます。大空のきよらかな静寂のなかのいとたかき星なるあなたに、われらが信深きまなこのなかに、かくもうるわしく輝(かがよ)うあなたに」(p.128)。

プーシキンの詩は、ロシア民衆の悲しみと喜び、愛、愛しい人への想い、神への憧憬と重なりあうがゆえに、国民詩人と呼ばれるのでしょう。

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