チュサンマは樺太アイヌ女性。ピウスツキはリトワニア生まれの男性。19世紀末、ロシアにより南サハリンに派遣され、チュサンマと出会い、20世紀頭に結婚。ここから、この長詩は始まります。
トミは1940年クナシリ生まれのアイヌ女性。やがて、著者と出会う。異なる文化背景を持つ者同士の二組。生きた時代は半世紀以上違うが、どちらもひとりがアイヌ女性。
著者は東京生まれだが北海道大学の西洋哲学の教員を長く務める。「生きる場の哲学」「アイデンティティと共生の哲学」などの著書名が示すように、その哲学は、その場とその時を掘り下げたものであり、多くの読者を得ている。
「アイヌであることに目覚めつつあった私は
アジアの小さい国ベトナムが、世界の超大国アメリカを相手に
一歩も引かずに戦い、独立を得ようとしている姿に感動し
ベトナム人民の苦難に心を痛め
一九六六年十一月に北海道で旗揚げされた
『ベトナムに平和を』札幌市民連合に加わりました」
「子どもの頃は 滅びゆくべき運命と決めつける人々の眼ざしを浴びて
アイヌであることに引け目を感じていましたが
一度目覚めたからには後には引けません」
これは「第二章 トミの物語」の一節です。これは、トミさんから聞いたことをそのまま、あるいは、花崎さんが記憶をもとに想像力で書いたものかもしれません。
けれども、花崎さんは自分を「アイヌ女性の理解者」などという勘違いはしていません。
「『わたしアイヌなの』」
『そんなことなんでもないよ』」
「よくも言えたものだ
無知ゆえの
気休めのせりふだった
彼女は怒った
『わたしがどんな思いで言ったか
あなたにはまったくわかっていない』
そのとおりだった
いったん口から出たことばを
出なかったことにすることはできない
この言葉を一生背負い
ひたいに『差別者』という烙印を自分で捺して
歩かねばならなかった」
ぼくは、こういう哲学者を信頼します。こういう人の言う反差別を信頼します。自分が差別者、抑圧者であるという深い反省、懺悔、告白がなければ、反差別、反抑圧のつもりでも、じつは、差別、抑圧からの出口さえ見えていないのです。