少数民族、先住民を踏みにじってはならない。軽蔑してもならない。
この民は劣っているのでもなければ遅れているのでもない。「未開」なのでもない。「人間」(ギリヤークの言葉では「ニグブン」、アイヌの言葉では「アイヌ」)だ。「同じ人間」なのではない。言葉も文化も歴史も状況も「違う」。ただし、生きる存在という意味では「同じ」。
この本は歴史物語であるが、思想書でもある。筋だけが気になり、ただ消費するだけの商品や娯楽ではない。
「俺たちアイヌは子供じゃないし、和人どもの望むようになってやる義理もない」(p.51)。
このセリフを一般化すれば、人は皆、子ども扱いされたり誰かの利益のために利用されてもならない、ということになろうか。けれども、これがアイヌと和人の関係で言われているから、思想になる。「俺たちアングロ系アメリカ人は子供じゃないし、先住民どもの望むようになってやる義理もない」なら、思想ではなく、反思想になってしまう。
「学校について、出てれば偉いとか行けないやつは出来が悪いなどとは、露も思わない。けれど、学校というものに希望を託し、未来を信じ、駆けずり回った大人たちをイペカラは知っている」(p.413)。
現状では、「同じ」はずの人間を「優」と「劣」に細分する教練所になっているが、学校は、在り様によっては、少なく踏み躙られる民の「希望」や「未来」になるはずだ。ここにも熱い思想がある。
ただし、物語は思想の道具でも器でもない。物語そのものが思想なのだ。