「砂浜に坐り込んだ船」(池澤夏樹、新潮社、2015年)
2011年以降、死者を書く作家、作品を意識し始めました。池澤さんもその一人です。
彼岸や此岸で死者と出会って語るさまざまな人びとを書いた短編集です。死者と出会う場所を異界と呼ぶなら、これは異界での異者との対話録と言ってもよいでしょう。
砂浜に船が座礁したことをきっかけに現れた死んだ友人。死後の世界にまだ慣れないうちに現れた姪。十代で船の事故で海に飲まれて以来の再会。沖の無人島でピザを焼く少年たち。死を前にした父の依頼で作ったペルシャ風水差しの模倣品から現われた魔人。離縁した妻の父親の墓前で吹雪の中、「お父さん」と語りかける男。オーストラリア南部のピンク・レイクで出会った男。有名人。写真で見たことがあるのですぐにわかったが二十年前に死んでいる。
最初読んだとき、場面展開にも会話にも凹凸がなく、霧の中にいるような「薄さ」を感じました。異界と死者の薄さ。
けれども、じつは、異界の方が濃厚なのかも知れません。
「西洋人は世界を一枚の油絵のように見ている。遠近法を駆使しても実はぺらっとキャンパス一枚、奥行きはないんだ。アボリジニは無数の時間を重ねて見ている。祖先から子孫までぜんぶが見えている。重なっている」(p.189)。
「その晩はホテルで同じベッドで寝た。ホテルの従業員には彼の姿見えていなかったらしい。こんなに深く眠れたことはないというほど深く眠った。それなのにその間ずっと彼が横にいることを意識していた。生まれて初めてのことだった」(p.192)。
世界の根本。目に見えない世界。永遠。死者。過去。未来。
ぼくたちは、こうしたものをぼんやりとしか思わず、はっきりしているのは「今、現在ここにいるということ」だけと考えているかも知れませんが、現在が濃厚なのは、じつは、こうしたものが重なりあっているからではないでしょうか。