269  「民族の言葉と詩の存亡が懸かった壮絶な闘い」

金素雲『朝鮮詩集』の世界 祖国喪失者の詩心」(林容澤、2000年、中公新書

 金素雲は、歌手・沢知恵の母方の祖父にあたります。また、金纓牧師の父でもあります。ぼくは、沢さんの歌をいくつか聴き、「チマ・チョゴリのクリスチャン」の著者である金纓さんの「メキシコわが出会い」を学生時代に読み、解放の神学の揺り籠となったキリスト教基礎共同体(Basic Christian Community)について学びました。

 この本を手にしたもうひとつの理由は、谷川俊太郎、申庚林による「酔うために飲むのではないからマッコリはゆっくり味わう」で、ほとんど初めて韓国詩の翻訳に触れ、ひじょうに印象深く、韓国詩、朝鮮詩を読んでみたいと思い、茨木のり子が「朝鮮詩集」について記していたことを想い出したのです。そして、本書が検索され、「朝鮮詩集」そのものの前に読んでおくことにしました。

 「朝鮮詩集」は1940年に出版されました。これは「支配国による文化抹殺政策がいちばん激しかったときに、母国語の詩をあえて支配国の言葉で訳し、支配国で出版するという、世界文学史上あまり例を見ない」(p.15)出来事でした。

 その訳詩には、翻訳にありがちな硬さや不自然さ、説明調がまるでなく、はじめからすぐれた日本語詩人に代って日本語で創作されたのではないかと誤解されかねないほどの、日本語としての高い芸術性があります。しかし、これに対して、「金素雲の訳詩があまりにも日本化されているという否定的な見方」(p.105)もあったようです。「親日派」、日本の政策同調のレッテルも貼られかねなかったのでしょう。

 けれども、著者は、「いつ滅びるかしれない母国語への人一倍強い愛情と、母語の詩心を日本人に伝えようという使命感」(p.215)が金素雲にはあったと見ています。その使命は十分に果たされ、日本の近代詩人、学者、芸術家たちは「金素雲の訳業を通して、『朝鮮』という『アジアの一隅の半島』の詩心の存在を新たに認識させられたのであり、同詩集から祖国を失った詩人たちの痛切な郷愁の念と亡国の思いを感じ取ることができたはず」(p.239)と著者は述べます。

 「いつ滅びるかしれない母国語への人一倍強い愛情」については、「金素雲の脳裏には、母国の氏は母国の言葉で綴られて生まれるからには、たとえそれが他の言葉で衣替えさせられたとしても、その根幹をなす母国語の存在は失われることなく、永遠に残るという信念があった」(p.240)と著者は推し測っています。

 この推測の正否は、ぼくにはわかりませんが、そもそも、翻訳はふたつの言語の間での苦悶であり、金素雲の場合は、民族の言葉と詩の存亡が懸かった壮絶な闘いだったのではないかと思います。

 著者は日本留学の経験があり、本著は東大に提出した博士論文の一部を大幅に書き改めたものだそうです。金素雲とどこか通じるものがあるのかも知れません。
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