「酔うために飲むのではないからマッコリはゆっくり味わう (日韓同時代人の対話シリーズ01)」(谷川俊太郎、申庚林、2015年、クオン)
韓国の国民詩人、申庚林(シン・ギョンニム)が谷川俊太郎と一緒に詩を作った。「対詩」と呼んでいる。谷川が五行記し、申がそれに五行つづけ、それに谷川が、と繰り返し、一連五行、二十四連の詩ができた。
プラネタリウムの天蓋に星座がひとつまたひとつ重なって夜空が完成するように、一つの連が現われ、また一つの連が現われ、詩ができていく。世界に詩が生まれる現場の生中継。
父の遺した李朝の壺とその痕を、谷川がうたえば
韓国の庭でほころぶ椿をさして新しい壺を、と申が続ける
谷川は、ニューズで国と国との流血を見る
申は、休戦ラインの鉄条網を這いあがる野の花を見る
申の祖父は、「力を貸してくれると信じた隣人が/泥棒となるのを見」(p.15)た
申は、「何百人もの子どもたちが水底で/船に閉じ込められているという」「南の海からの悲痛な知らせ」に、「散り敷いた花びらを見つめる」ばかり(p.17)
「自らの心と書く漢字の息」「声にならない言葉にならない息ができない苦しみに/想像力で寄り添うことすらできない苦しみ/詩の余地がない」と谷川。
けれども、谷川はフォーレのレクイエムに「言葉の種」がひそみ「芽生えを待っている」と言い、申は「地上には太初に言葉があり/星と花のまばゆいダンスがあった」と応える。
最後の二連で、谷川は遠くの花火と遅れて届く音と歓声を書き、申は「長い梅雨の終わりは 朝がいっそうきらびやかだ」と結ぶ。