「教科書の詩をよみかえす」(川崎洋、2011年、ちくま文庫)
茨木のり子さんの「詩のこころを読む」 (岩波ジュニア新書) に紹介されている中で一番とっつきやすそうなのが川崎洋さんだったので、川崎さんの詩を読もうと検索してみると、この本が出てきました。
川崎さんの詩は一編のみ。あとは他の詩人。それらについて川崎さんが、解説ではなく、思いついたことを、羽があるかのようにとても自由に書いています。そこが詩人らしい。
たとえば、ある詩の比喩を誉めた後で、産地が離れている味噌を混ぜるとおいしい味噌汁になるという話を持ち出し、「言葉もなるべく遠いものを比喩で結ぶと、新鮮なハーモニーをかもしだします」(p.28)とまとめます。
谷川俊太郎さんについては、「氏は空、ひいては宇宙に対して根源的なつながりを感じていて、それが彼の詩のスタートになり」(p.86)と述べていますが、ご自身については、「特に永遠さんに気に入られようとは思わないけど、詩を書くなと言われると、呼吸をするなと言われたみたいなのです。きょう書いた詩があした使い捨てられてもいいとも思っています。少し負け惜しみも入っていますが」(p.132)というように、情熱と達観と距離感と茶目っ気をあわせもっておられるようです。
北原宗積さんの人間ピラミッドの出だしは「気がつくと/ 父を 母を 踏んでいた」というものですが、これを受け、川崎さんは「わたしの場合でいいますと、もう二人の娘たちに、そして、その娘の上の三人の孫にふまれています」(p.207)と言います。どこかとぼけています。ぼくなど俗人は、ぼくの上に父と母のふたりがいて、その上に祖父母が四人いて・・・とイメージしていましたが、詩人らは、父母、祖父母が下にいて、それをぼくらは踏みつけている、また、ぼくらも子どもたちから踏まれる、と感じるのですね。
さいごに取り上げられた詩は、川崎さん自身の「ウソ」です。詩につづいて、ウソとイツワリの違いが語られています。詩はウソであってもイツワリではないということでしょうか。