「川崎洋詩集」(川崎洋、2007年、角川春樹事務所)
たしか、茨木のり子さんの「詩のこころを読む」で紹介されている詩人の中で、ぼくにはとてもわかりやすく、最初に読んでみたいと思ったのが川崎洋さんだったので、この本を求めたのだと思います。
ところが、この詩集、ぼくにはわからない、つまり、意味がつかめないものもあれば、じゃんけんの掛け声を数十も並べた(だけの)ものもあったりで、わかりやすいだけではない川崎さんがいました。(もっとも、意味をつかもうとする読み方は詩の読み方ではないのかもしれませんが。けれども、何かを感じることもできなかったなあ。)
木坂涼さんという、やはり詩人が巻末に寄せたエッセイによると、川崎さんは「対象に触れようとするその手を、心を、思わずひっこめて、もっと柔らかく、自分でもどこにあるか分からないようなところで触るやり方」(p206)だそうです。それなら、ぼくがわからないのも、無理はないですね。なにせ、手も心もひっこめられて、それがどこにあるのかわからないようなタッチなのですから。ぼくが、川崎さんの詩はとぼけているところがあると感じるのもこうしたことなのでしょう。
でも、わかりやすい、あるいは、わかったつもりになった、あるいは、感じた(つもりになった)言葉もあります。
「チーズと発音すれば 笑い顔をつくる事ができます でも ほほえみはつくれません」(「地下水」)
「どうしようもないきのうを持ってしまったが
どうにかできるあしたがあるさ」(重いつばさ)