みすゞは雑誌に童謡詩を投稿し、よく掲載されていました。「今なら、You Tubeで自作の詩や歌を披露して若者の人気を集まるアーティストにたとえることもできましょう」(p.13)と著者は言います。
しかし、それ以上は進まなかったようです。詩集出版にはいたらなかったのです。みすゞは手書き詩集ノートにこう書きます。
「できました、できました、かわいい詩集ができました。我とわが身に訓(おし)うれど、心おどらず、さみしさよ。」(p.87)。
「とにかくに、むなしきわざと知りながら、秋の灯の更くるまを、ただひたむきに、書きて来し。」(p.88)。
523作の詩をノート三冊に書いて、西條八十と、弟で文藝春秋社の編集者である上山雅輔に送りますが、出版します、という返事は来ないのです。
けれども、没後54年、みすゞは発掘され、全集が刊行されます。みすゞの詩は教科書にも載りました。
ひたすら書いたことは、むなしきわざではなかったのです。
この本には、みすゞの詩が何編か引用されていますが、著者によるその読み下しが、すなおかつわかりやすくて、詩の味わいを深めてくれます。
弟の上山雅輔は劇作家となり、劇団若草を立ち上げ、竹脇無我、音無美紀子ら、子役では、キャロライン洋子、杉田かおる、吉岡秀隆らを育てます。雅軸とみすゞは青年期、文学愛好仲間でもあり、雅軸はみすゞの童心をよく知っていたでしょう。それがどこかで子役育成につながっているのかもしれません。