「3・11以後この絶望の国で 死者の語りの地平から」(山形孝夫・西谷修、2014年、ぷねうま舎)
大津波のあとの被災地には、従来の仏教、キリスト教の手の届かない現実が横たわっていた、と山形さんは言います。
できることは何もなかったのです、ともに哭くこと以外には。あなたが生きていることで、その人も生きている、だから、あなたが生きていることはかけがえのないことなのだ、という便りをわかちあいながら。しかし、それは、説き伏せたり、教え聞かせたりすることとはまったく違うことでしょう。イエスは、それを病者や障害を持つ人びとを癒すことで伝えました。言葉ではなく、癒しが便りだったのでしょう。
近代の仏教やキリスト教は、哭くことを許してくれません。死者を丁重に葬ることで、残った者の涙も、旅立った者の無念も葬り去ってしまう、と山形さんは指摘します。死者に無念や後悔を語られては、社会には都合が悪いからです。宗教の役割は、死者の口を封じ、とくに、犠牲死を余儀なくされた者を美化することにあったと言います。ダンテの「神曲」や「耳なし芳一」はそのために創作されたと。
イエスの十字架上の死も、ローマ帝国への愛国心と国家のための犠牲死を促すために利用されます。それは、西欧社会に浸透し、日本にも持ち込まれ、宗教のそういう姿が3・11によって露呈されたと言います。死者に語らせない宗教です。
けれども、「明日のことは明日自身が思い煩う。野の百合、空の鳥を見よ」という「イエスの語りの中に、死者と生者をつなぐ生命の絆がある」(p.238)、山形さんは福音書のイエスに「死者の語りの聴聞者、仲保者、死者と生者の和解のとりなし」(p.237)「ハイパー・パートナー」(p.238)という感覚を持っていると言うのです。
死者に語らせない宗教から、死者と生者の対話のとりなしへ、と著者は訴えています。