214 「新鮮で、心に沁み込む聖書の読み方」

「聖書入門」(アンゼルム・グリューン著、中道基夫・萩原佳奈子訳、2013年、キリスト新聞社)

 はじめて聖書を読もうとする人のガイドブックにもなりますが、聖書を何度も読んでいる人、あるいは、教会などで聖書に触れる機会の多い人にとっての、聖書「再」入門書としても最適だと思います。

 とくに、聖書の基本知識だけでなく、聖書の読み方について、とても参考になります。本書では、「はじめに」と「聖書を読むために」という章で、数十頁にわたって、聖書の読む際の、いわば心のあり方、用い方についてのガイドが述べられており、なるほどと教えられます。
 
 まず、ゆっくり読む、そして、「考えるのではなく、言葉を噛みしめ、味わう・・・その言葉をこころの中で繰り返し繰り返し唱え」(p.23)、それから、わたしを神の愛へと導き、愛の御手で包まれるように祈り、そして、神さまとひとつになることを試みます。

神さまとひとつになるとは、神さまの前で静かにし、静けさの中で、言葉なしに、ただそこにいることだと述べられています。静けさとともにいることが神さまと一緒にいること、静けさとひとつになることが、神さまとひとつになることなのでしょう。

 著者はさらに聖書の各巻や代表的な箇所を、わたしたちの心理に重ねて解き明かしてくれます。

 たとえば、アブラハムがイサクではなく羊を奉献する箇所については、自分の一番大事なイサクを奉献しなければならないというのは神が完全を求めているという「わたしたち」のイメージの投影であり、神さまに対して完全でなければならないという思い込みから、神さまはわたしたちを解き放ち、羊を用意してくださったというのです。神さまは、わたしたちが愛するもの(子どもなど)をではなく、しがみついているもの(羊、成功、出世・・・)を手放すことを望んでおられるというのです。
 
 ヤコブエサウは、わたしたちとわたしたちの影の話であり、わたしたちは自分の影と向き合うことが求められ、そこに神の祝福があると言います。

 サムソンの長髪は、神への信頼の表現であり、それを切られると、弱くなってしまったというような解釈も、わたしたちの心理につながります。

 ヨブ記詩編からも、神さまとの間のわたしたちの心の在りようについて、示唆に満ちた学びが示されています。

 会堂長ヤイロの娘の癒しは、娘を縛る厳格な父親からの解放と自立であると説かれ、黙示録の天体の落下は、わたしたちの魂の崩壊、自分の破滅のイメージと重ねられます。そのわたしたちに対して黙示録は「あなたの中のすべてが崩れ去ってしまいそうなとき、あなたの目を上に向けなさい。神はすでにあなたの中で働かれています。神はあなたの中に新しい天と新しい地を創られるでしょう」(p.204)と語りかけているというのです。

 著者は最後に言います。「自分の感覚を信じてください。聖書の言葉と自分自身の考えやイメージを結びつけてください」(p.207)。

 誤読など恐れずに、わたしたちは、わたしたちが感じるように聖書を読んで良いのです。聖書を読んでも何かをすぐに感じられなければ、心の中にあたためておけば、散歩やお掃除や食事のあいだに、ふと何かを感じることが、きっとあると思います。

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