誤読ノート213 「在日韓国人牧師一家から日本住民へのラブレター:ヘイトに抗して」

「行動する預言者 崔昌華(チォエチャンホア) ある在日韓国人牧師の生涯」(田中伸尚、2014年、岩波書店)

 中国国境に近い宣川(現在は朝鮮民主主義人民共和国の町)。日本による植民地支配のもと、天皇制教育を受けた少年時代。日本の敗戦による「解放」後は、共産党による逮捕、拷問、投獄。南への逃走。朝鮮戦争。さらに南へ。済州島生活を経て日本へ。在日同胞の人権獲得の闘い。「内なる天皇制」との対峙。

 崔昌華牧師とその次女、崔善恵さんの言葉と生き方は、二十代後半だったぼくを決定的に方向付け、また人生の希望となった。ぼくの考え方、感じ方に対して、「そこに落ちてはならない」という歯止めとなり、「そこを登らなければならない」という促しになっている。

 本書には崔牧師とその家族、また近しい人びとのさまざまな歴史的場面が、牧師の時間軸に沿って展開されている。

 いわゆる「金嬉老(キムヒロ)事件」。1968年、暴力団員二人を射殺した後、宿泊客など13人を人質に旅館に籠城。しかし、その背景には、民族差別の日本社会と歴史があった。北九州は小倉に住んでいた崔牧師は、急きょ、静岡のこの旅館に駆けつけ、金さんと対話。金さん逮捕後も、面会や文通を続ける。

 崔牧師は事件直後、大急ぎで「金嬉老事件少数民族」(酒井書店、1968年)を著し、出版。当時、ぼくの父も小倉で牧師をしていて、崔牧師は父に原稿を見せ、手直しを求めたそうだが、「林先生はわたしの原稿にまったく赤ペンを入れずに返してくれた」と嬉しそうに語ってくださった。1986年にぼくが崔牧師をはじめてお訪ねした時のことだ。この言葉に、崔先生のスケールの大きさを感じる。

 「サイショウカ」ではなく「チォエチャンホア」と読むことをNHKに求めた裁判。この背景にも、日本が朝鮮半島を1910年から植民地化し、日本語教育創氏改名を強要し、1945年以後も、在日朝鮮人を差別し、民族性を蔑にしてきた歴史がある。

 指紋押捺拒否。15歳の崔善恵さんの決断に、母、姉、父、兄らもつづく。日本人には求められないのに、歴史的経緯があって日本で住民として生活している外国人に、どうして、犯罪予備軍であるかのように、あるいは、特別に管理しなければならない者であるかのように(いや、じっさい、特別に管理するのが目的なのだが・・・)、指紋押捺を強要するのか。

 大学生の時、教会の修養会で、崔善恵さんの講演を聞いたぼくたちは、「では、あなたたちは、わたしを呼んで、話を聞いて、これからどうするのですか」と問われた。その問いは、深く刺さり、それから四半世紀、ぼくの耳から消えることはない。

 崔牧師が、教会の働きや人権運動を進めながら、大学、大学院で、国際法を学んでいたことは以前から知っていたが、その意味をぼくはまったく理解していなかった。今回、この本を読んで、それは学位や権威を欲してのことなどではなく、日本に住む外国人の人権を国際レベルでとらえ、その理論と構想を、少数民族の人権を獲得し日本社会を人権社会にする武器とするためであったと理解した。また、外国人の人権にかかわる諸集会で、法の変遷が重視される意味がよくわかった。

 崔昌華先生の詩はこう結ばれる。

「明けの明星のように
 在日にとって明るい社会がくると・・・・・
 差別のない、人間のすべての権利が
 実現される社会になってほしいと
 願っております」

 先生ご自身の生涯が、ぼくたち日本社会の「明けの明星」であったと、この本を通して知らされる。

 ヘイトスピーチは今に始まったことではなかった。先生ご一家も日本人のこの憎悪にさらされてきた。闇であった。けれども、夜明けを呼び込んでくださった。

 39年前、崔昌華(チォエ チャンホア)牧師は、NHKに「サイショウカ」ではなく「チォエ チャンホア」と呼ぶことを求めた。現在、テレビ放送などでは、韓国・朝鮮人の名前は、民族語に近い発音で読まれるようになっている。

 崔牧師一家が初めてではないが、1981年、牧師長女の善愛さん、次女の善恵さん、牧師のおつれあいの金貞女さんが指紋押捺を拒否し、全国にも連帯者が多数現われた。ひとりひとり、想像を絶する苦しい道のりだったと察するが、1992年、永住者・特別永住者指紋押捺制度は廃止された。

 しかし、ヘイト・スピーチ、その背景の韓国・朝鮮人差別、外国人差別、軍事国家化、沖縄差別、福島差別、さまざまなマイノリティ差別が、今も人びとを苦しめている。どうやって克服していくのか。

 崔牧師とその同胞の物語は、希望であり、また、あらたな道を開くための貴重な資源のひとつであろう。

 この本の舞台の一部は、ぼくが大学に入るまで過ごした小倉。なつかしさを感じるが、同時に、そのころはまったく知りも、知ろうともしなかった重大なことがあったことを教えられた。友人の少年時代のことも、この本で初めて知った。

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