205 「弾圧の理由はキリスト教の不寛容さにあった?」

 「はじめて読む人のローマ史1200年」(本村凌二、2014年、祥伝社新書)

 ローマ史入門の新書であり、映画化もされたコミック、テルマエ・ロマエに便乗しているようにも思えるが(帯にそのコミック作家によるカエサルのイラストさえある!)、著者は、東大名誉教授でもある歴史学者。わかる人が読めば、入門書であるだけでなく、ローマ史についての相当に画期的な本なのかも知れない。

 時代を追って、共和政、ローマ軍の強さ、大帝国化、ローマ人外への市民権付与、パンとサーカスキリスト教弾圧、滅亡の七つのテーマからローマ史が述べられている。

 「お姫様抱っこ」のルーツは、女性不足対策として外国から女性を略奪してきたという故事にあるとか、暴君ネロはその凝った衣装や金持ちや貴族から没収した財産の大盤振る舞いなどのゆえに民衆から人気があったとか、奴隷制社会は奴隷に無理をさせれば済むので技術革新が起きにくかったという最近の経済学者の指摘とか(ならば、現代日本の失われた20年も現代の奴隷制で埋め合わせようとするから画期的な技術革新と不況打開が起こらないのではないか?)、うんちくも仕入れましたが、やはり、おもしろかったのは、キリスト教弾圧の理由です。

 ぼくは弾圧するローマ帝国側が不寛容なのだと思っていましたが、よく言われるように、ローマ帝国は他民族や他宗教に寛容だったようです。ユダヤ教ディアスポラユダヤ人やそのシンパである「神を畏れる者」の枠に留まっていたのに対して、キリスト教は民族やあるいは身分の壁を越えて広がり、一見寛容に思えるのですが、そこには他の宗教に対して「ほかの神を信じてはならない」「それは本当の神ではない」という不寛容な姿勢を取ったために弾圧されたと著者は指摘しています。

 たしかに、聖書の神は寛容さだけでなく不寛容さも備えており、それが、人間の営む宗教としてのキリスト教、信仰というレベルになると、不寛容さが一層強くなった面があることは否定できないでしょう。

 ただ、ローマ軍は帝国の各地で住民にとって、やはり、暴力装置であり、その象徴である皇帝ではなく、ただ神のみを自分の主人とするという要素もキリスト教信仰にはあり、それは単純に他の宗教への不寛容と言えないでしょう。
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