「日本史におけるキリスト教宣教 宣教活動と人物を中心に」(黒川知文、2014年、教文館)
これは日本キリスト教史の本ではありません。つまり、日本におけるキリスト教の通史が述べられているのではありません。
そうではなく、副題のように、ザビエル、高山右近、ド・ロ、ニコライ、ヘボン、バックストン、内村鑑三、山室軍平、植村正久、中田重治、賀川豊彦、矢内原忠雄、カックス、尾山令仁、また、彼らを中心にした集団や同時代のキリスト教界が、どのような方法(伝道文書、伝道集会、社会活動など)でキリスト教を伝えようとしたかが物語られています。
線路ではなく、いくつかの駅の様子が描かれている、と言うとわかりやすいでしょうか。どんなチラシを何枚刷って、集会に何人集まり、誰がどんなことを演説して、というようなことも載せられていて、非常に具体的と言えるかもしれません。たしかに、このような宣教活動の記録は他ではほとんど目にしたことがありません。
このような本著の中で、「重要な指摘」と思われることと、「それは違う」と思うことを、ひとつずつ挙げてみましょう。
まず、「それは違う」と思うことから。著者は序章で「キリスト教とは相いれない天皇制などの価値体系を有する日本社会に対して、教会は効果的に働きかけず、これまで妥協するか孤立するかの選択をしてきた。そのためにキリスト教は民衆の中に受け入れられず、日本社会に定着できなかった」(p.17)と述べています。
これは、日本社会に妥協してはならないということかと思えば、そうではありませんでした。まず、キリシタン時代の宣教の「結論」として、「三、宣教師が政治指導者からキリスト教宣教の許可を得たことが有利に働いた」(p.87)と述べています。
さらには、安土桃山時代のキリシタン宣教、鹿鳴館時代の欧化政策の時期、そして、第二次世界大戦後の占領軍支配時代、これらの三つのキリスト教ブームに共通することは「政治権力者からの支援があったということである。そうであったからこそ、その支援がやむと急速に終息した」(p.363)とし、そうした支援が必要であるという考えを示唆しています。
そして、ついには、「戦争という国家的危機において国家のために祈り奉仕する教会は、決して「妥協による埋没」ではない。教会を存続させるための国家への一時的な皮相的妥協であった」(p.435)とし、「宣教を優先する観点に立てば、戦争という危機的状況において、「鳩のように素直に」なって教会が国家を断罪したら、教会そのものは多大な被害を受け、戦後における宣教活動も困難になると考えられる。戦時中の多くの教会は状況を理解して、「蛇のように賢く」対処したと考えられる・・・国家との適切な関係を持つことも、宣教には必要なことである」とまとめています。
これは、2014年という発行年だけでなく、日本基督教団の戦争責任、イエスや預言者、聖書の国家に対する根本姿勢を考えれば、不適切な結論だと思います。
ところで、キリシタン時代の大規模な宣教展開の一因に、「宣教師の人格の高さ」を挙げていますが、これは「重要な指摘」だと思います。明治期においても「宣教師は一般的学問にも優れており、市民的自由の気風と精神をも教えた」(p.142)とされ、「伝道が成功するかどうかは牧師の人格の影響が大きい」(p.375)と結ばれています。
たしかに、自分を振り返れば、高潔な人格ではなく、それを目指したり憧れたりすることもありませんでした。むしろ、否定的に見てきたかも知れません。学問にも優れていませんし、市民の自由を伝えようともしていません。
むしろ、自分の弱さにあまく、努力を惜しみ、自分の人格の劣勢を反省さえしてきませんでした。そもそも、「ぼくの親父のようなひどい人間が牧師をしているのだから、ぼくが牧師になっても悪くないだろう」という開き直りを根拠に牧師になったのですから。
しかし、品行方正ではなくても、高貴であり、寛容であり、打たれ強く忍耐強くあり、神とキリストのよきものを他者にもたらす努力は必要だと反省しています。
ただし、「人格の高さ」は「蛇のような賢さ」とは無縁だと思いますが。