日本にキリスト教が広まらなければならなかったのか。ならないのか。
キリスト教のもっとも良質な部分(この世界は偶然ここにあるのではなく創造されたものであること、その創造者の意志、愛、無償性、信頼、委ね、正義、平和・・・)が人びとに伝わり、人びとの人生がゆたかになることがあれば、それは牧師であるぼくの願うところであるが、そこにはかならずしもキリスト教という看板はなくても構わないのではなかろうか。
「キリスト教徒のほとんどは、完全な善人にも完全な悪人にもなりきれず、迷ったり悩んだりしながら、誰かを愛し、同時に誰かを傷つけ、それぞれの人生を中途半端にもがいて生きてきたのである。キリスト教は、全体として見るならば、人間というもののいかんともしがたい現実を示す壮大な実例だとも言える」(p.10)。
人間はほんとうにすばらしいものであるという現実を示す例もキリスト教の中には少なくないと思うが(むろん、キリスト教の外にもそのような例は無数にある)、上の引用も、その通りだと思う。
明治初期の「キリスト教は、士族の倫理的背景をなしていた儒教も、庶民の生活とも不可分な天神地祇の祭りも、そして仏教も、みな偶像崇拝として排斥しようとした」(p.170)。
日本でキリスト教が広まらなかった一因がここにあるかも知れないと著者は言う。
その反動か、「多くのプロテスタントの牧師たちは日露戦争に協力的だった。新島襄の門下である海老名弾正は、当時の牧師のなかでも特に日露戦争を積極的に肯定したことで知られている・・・本多庸一と井深梶之助は、日本が正義の戦争をしているということを訴えるために、わざわざ欧米にまで足を運んだのだった」(p.182)。
他宗教に不寛容であれば、その宗教に属する人びとを含む多くの民衆の支持は得られないだろう。戦争に賛成すれば、平和を願う人びとの心をつかむことは難しいだろう。
(明治時代の)「宣教師の多くが、日本を『邪教』が支配している『暗黒』の国、『迷信的』で『不道徳』な国だと捉え、日本人の『あわれな霊性』に光と救いをもたらそうという意識を持ってやって来ていたことがわかる」(p.234)という、鈴木範久の見解を受け、著者は「日本人のうち少なくない人々が、そうした宣教師たちの傲慢な態度を敏感に察知し、それに屈辱感をつのらせ、キリスト教そのものに反感を抱くようになっていったということも、確かにありえたかもしれない」(同)と述べている。
その通りだと思う。現代でも、外国から来た宣教師の一部には、「日本はキリスト教を知らない劣った社会」と見なしている者がおり、非常に大きな問題である。どうじに、牧師、神父、信者の中にも、「正しい宗教であるキリスト教を信じない限り、人は救われない」と妄信する者も少なくない。(宣教師の中には、謙虚で、高徳な人も少なくない)
日本にキリスト教の最良の部分が広まらない一因は、たしかにここにある。
宣教史は宣教師の問題でもある。