131 「生家の父は認知症、故郷は地震と津波」

「還れぬ家」 (佐伯一麦、新潮社、2013年)

 私小説を執筆中に、舞台の故郷の地面が波打ち、ビルのような濁流に呑み込まれたら、作家はどうするでしょうか。

 この小説は、認知症の父、介護にあたる母、妻、幼少期からの心的外傷を抱える「私」、そして、そうした事情ゆえにそれぞれにとって「還れぬ家」をテーマに、2009年4月から雑誌に連載し始めたものです。

 けれども、最終形の三分の二くらいまで書き進められた時、2011年3月11日を迎えます。数か月の休載ののち再開されてからは、当初のラインに変化が生じます。認知症、介護に加えて、被災者、避難者、被災時の高齢者や施設、障害者、そして、津波が引き返した後の仙台沿岸部が描かれるようになります。

 小説の最後の方には、「私」の「手記」があり、そこには、「帰るところがなくなっちまったっす」と言う体育館暮らしの知人の言葉を受けて、「家へ還れない個人的な思いをずっと綴ってきた私にとって、外からの力によって家へ戻ることが有無を言わさず不可能になった者たちの姿を前にすると、我が身のことだけにかまけてきたようで自省させられるものがありました」(p.429)とあります。

 けれども、認知症とそれに伴う介護という事態の発生と継続にとまどい続ける父と「私」、配偶者を(あたかも自分の僕であり、また反対に保護者であるかのように)片時も自分から離れさせまい、家以外のどこかわからないところに連れ去られまいとし続ける父、母と兄そして暴漢により家にいたくなくなるような心の傷を受けた「私」、母の過剰な身体性、父のその欠如、けれども、すてがたいときおりの思い出、こうしたことの綿密な描写は、「私」の「我が身」だけでなく、まさに読者であるぼくのことでもありました。ぼくの父は最後の二年は徘徊や暴れさえもせず、手を握っても声をかけても目の焦点があわないような状態でしたが、その間、ぼくは数度見舞っただけで、介護で悩むことも、父の姿をじっくり見ることもしなかったにもかかわらず。

 震災の写真や動画もたしかに、見るぼくたちに感情や思考を促します。けれども、写真は一秒で観たつもりになってしまいますし、動画も画面の中心だけを見て全体をわかった気になってしまいます。そういう恐れがあります。けれども、文字は書く者にも読む者にも、時間をかけることを求めます。認知症の高齢者も、津波が海に還って行った後の土地も、文字は、平面的に一瞬でではなく、線をゆっくりとたどるように、一マス一マスを埋めていきます。

 この小説には、トラウマ、エイジング、被災し避難する人々、仙台沿岸部の姿が、時間をかけて描かれています。こうしたことを一過性の話題として消費してしまわず、他人のこととしてしまわないために、ぼくたちには、写真や動画に加えて、語られる言葉、そして、文字でていねいにつづられる言葉が必要なのです。

 つづられるためには、読むことが前提になります。ぼくたちは読むことでつづりを促します。つづられ、読まれ、記憶され、創造されることを願います。