130 「絶対化ではなく相対化こそが神学伝統の知性」

「神学の起源―社会における機能」 (深井智朗、新教出版社、2013年)

 「起源」とありますが、この本から伝わってくるものは、神学は二千年近く前にどのようにして発生したか、ということだけでなく、副題にあるように、その後の各時代の社会において、どのような性格、役割、少し意地悪く言えば、どのような「たくらみ」を持っていたか、ということです。神学は、ただ聖書の内容、神のことを研究したり伝えたりするだけではありません。本書は、神学とその背景史を述べ、その背景によって神学の役割が変わることを示しています。

 本書によりますと、イエスは体系的な学問を展開したわけではありませんでした。イエス自身はそのような必要性を感じておらず、ただ自分が感得した「神の国の到来」を熱く語ったのです。

 けれども、イエスが去ったのち、その神の国がいつまでたっても来ない(ように思える)となると、その理由などを考えたり、説明したりする必要が生じてきます。ここに神学が誕生するのです。

 つづいて、中世になり、ヨーロッパ中にキリスト教が広まり、教会が世界を支配するようになると、神学はそのための学という性格を帯びるようになります。たとえば、教会は、鐘の音によって、時間を支配し、洗礼と葬式によって、生と死を支配するようになり、そのための神学が必要となります。

 さらに、近代に入りますと、三つの神学のスタイルを数えることができます。ひとつは、たとえば、ドイツのルター派は各人が自由に選んだ結果、その州がルター派になったわけではありませんが、それでも、カトリックや他のプロテスタントとの違いを説明するために、言い換えれば、自分たちのアイデンティティの説明のための神学が必要となります。

つぎに、イギリスやアメリカのように、宗派を各個人が選択するような状況が生じてきますと、各宗派は単に違いを説明するだけでなく、自分を売り込むマーケティングが必要となり、そのための神学が求められます。

 また、フランス革命のように、キリスト教が教会から切り離され、国家に管理され、社会制度ではなく心の問題とされると、神学は道徳やナショナリズムを生み出す装置となります。(国家管理なのにどうして制度ではなく心の問題となるのかは、日本の国家神道と「道徳」「心」の密着を考えるとわかりやすいかもしれません。)
 
 ぼくが興味をもったのは、非常に大雑把に言って、宗教改革以前の神学は、ローマ帝国という広い範囲の政治領域を背景に、(現在のどの教派にも共通するような)どの地域にもあてはまるような普遍的なことがらを論じたのに対し、宗教改革以後の神学は、帝国ではなく、ドイツならドイツ、イギリスならイギリスというローカルな範囲で、その事情に応じた、いわば個別の神学を展開したという見方です。

 これを読んで、宗教改革以前のカトリック教会やドイツのルター派国教会では、その地域に生まれた者は皆同じ宗派の信仰を持つことと、幼児洗礼がなされること、そして、神の恵みが強調されることが互いに関連しており、それに対して、アメリカなどでは、教会は民営のものとなり、そこでは、自発的な信仰告白を条件とする壮年洗礼が重視されているのではないかとも想像しました。

 いずれにせよ、同じ宗教改革と言っても、ドイツのルター派と、イギリス・アメリカのピューリタンでは、神学の背景も役割もずいぶん違うことを教えられました。

 本書で一番共感したのは「重要なことは、ずっと同じ神学が存在したわけではないということである」(p.203)という一節です。時代背景に応じた機能を担っていたことを思えば、当然の帰結ではありますが、他方、同じ聖書、同じキリスト教、同じ神なのだから、神学はいつの時代も変わらないものでなければならない、という考えが根強いこともたしかでしょう。

 著者は、神学は絶対性を主張する学問ではなく、むしろ、最初から「ひとつの仮説」として存在してきたのではないか、と述べます。

 「絶対的な神を知っているということは、自分をどこまでも相対化するのである。これこそがむしろ神学の伝統の中にある知性である」(p.219)。

 「絶対的な神を知ることはできないが、その背中、その影を追うことは、自分をどこまでも」と言い換えたうえで、まったくその通りだと思います。

 そして、神学は、二千年の歴史において、他の諸学の基礎になったり、援用したりしてきましたが、「相対化」こそ知性、ということを貫くのであれば、これからも、他の諸学に、さらには、人間の知性と感性、生き方に貢献し続けることができると思いました。どうじに、他の諸学を援用する相対性を維持することもできるでしょう。

 新教出版社が企画している「シリーズ 神学への船出」の最新刊です。

「神学部とは何か 非キリスト教徒にとっての神学入門」(佐藤優)、
「隣人愛のはじまり 聖書学的考察」(辻学)、
旧約聖書新約聖書」(上村静)
に次ぐ第四弾です。

 若い入門者にも、わたしのような万年入門者にも。

 講義をもとにしたものなので、読みやすいし、わくわくしますし、興味深いエピソードも満載です。

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