携帯、スマホの普及で、誰もがいつもカメラを持っている。
津波で八十名以上が命を失った大川小学校で、ぼくは、報道家でもないのに、壊れた校舎や何もなくなった校庭や慰霊碑や「子まもり」の像を撮影した。
最初は、ためらった。撮っていいものか。
横死した人々、この地に生き残った人々、その風景を、写真を撮りたいという自分の欲望を満足させる対象としてしまっていいのか。
でも、撮った。誰に見せるためにか。自分で後で見るためにか。何のためにか。なぜ撮ったのか。
ビフォア・ザ・レイン。
この映画の、「終わることはないが、同じことも繰り返さない」時(“Time never dies. The circle is not round”)は何を意味するか。
和訳も解釈も難しい。
ピュリーツアー賞を受賞したマケドニア人主人公。ボスニアでも虐殺現場をものにした。
ロンドンに戻り、恋人に「一人殺した」と告白する。カメラで殺したと追伸する。
マケドニアに帰り、親族が殺された家族の敵討ちにアルバニア人少女を捕縛した時、彼のとった行動は・・・。
それによって、今度は何が変わったのか。
雨が降る。空が泣いたのか。何かを潤したのか。
映画配給の前年にあたる1993年スーダンで撮影された一枚の写真を思い出した。