86 「演じるとは、生きること」

「演技と演出のレッスン 魅力的な俳優になるために」(鴻上尚史白水社、2011年)

 この世界が舞台なのか、演劇が人生なのか。

 人が役者なのか、演じることが生きることなのか。

 「演技と演出のレッスン」と題されたこの本ですが、俳優などではないボクたちの表現活動にも、演奏にも、歌にも、Facebookへの投稿にも、人前で話すことにも、そして、人生そのものに、意味ある言葉があふれていると思います。

 作家の役割は、人生の絶望と希望を教え、勇気と明日への信頼を与えることだ、と著者は言います。ボクらが生涯において口にする言葉も、奏でる音楽も、描く絵も、じつは、そうありたいと思います。

 役者がある感情を感じていれば感じているほど、観ている人もその感情を感じ、そのセリフを信じると鴻上さんは言います。

 しかし、自意識が感情の発露を邪魔します。自意識を失くすことはできないが、弱め、自分の味方にすることはできるとも言います。自意識を自分の前においてあれこれ指図させるのではなく、後ろにおいて、後ろから見守ってもらうのです。

 また、自意識を捨てようとするのではなく、「与えられた状況」のことを考えるようにすると、自意識が弱くなっていくと述べています。

 これらのことは、演技だけでなく、上で挙げたようなぼくたちのさまざまな場面に応用できそうです。

 真冬のプラットホームにいる演技をするとき、役者は寒くなるのではなく、寒かったら何をするかを考え、そのことをする、と著者は言います。これも、人の話に共感すべきシーンなどに使えると思います。たとえば、お年寄りのお話を聴きながら、同じようには感じられないけれども、自分が高齢者だったら何をするかを考え、そこから何かを感じるというように。

 俳優は、観客や演出家に、好かれたり、受けたりすることではなく、役そのものを目的にせよ、とも言います。ボクたちも、いいね!をもらうことに心を奪われていますが、ボクたちが生きる目的とそのための行動そのものに集中すべきなのでしょう。

 作品の面白さは、登場人物がいくつかの葛藤や困難を乗り越えて、目的を実現しようとすることにあると鴻上さんは書いています。ボクたちの人生も・・・

 演技とは、セリフをしゃべることではなく、相手のセリフを聞くことだ、と著者は言います。ちゃんと聞けば、自分のセリフもちゃんといえるし、生き生きすると。ボクたちも・・・

 最後に、「演技は、あなたが最も隠したいと思っている恥ずかしい部分、一番ナイーブな部分を観客の前に差し出すこと」(p.280)と鴻上さんはまとめています。しかし、これは露悪趣味とは違い、観客やカメラの前で、リラックスすることなのです。

 ボクたちも、人生という舞台と、その演出家、そして、もっとも自分を愛してくださるお客さまの前で、開かれたいと思いました。