51 「人間には・・・海の底のような深みがある」

「科学と宗教と死」(加賀乙彦集英社新書、700円、2012年1月22日)

 帯には「医師として、作家として、そして信仰の徒として「死」をめぐる思索の集大成」とありますが、じっさいは、加賀さんのライフヒストリーに沿って、ということは、体験談を交えながら、「です・ます」で語られた、とても読みやすい本です。

 軍国少年として、死刑囚と向き合う医師として、あるいは一死刑囚の友として、加賀さんが死について感じ、考えたことがわかりやすく述べられています。また、ご自身の運転していた車が事故に遭い、転がる車の中で経験した死、また、おつれあいの死についても。

 おもしろいのは、精神科医である加賀さんが、「ある程度人間を、心理学用語で分類しないと診断がつきません。ところが人間にはそういう既成の概念では整理できない、海の底のような深みがある。それは「心理」という言葉では言いあらわせません。「魂」というような、もう少し複雑なものが心理を支えているのではないかと思うようになったのです」(p.79)と述べていることです。

 人間は、心を落ち着かせようと思っても落ち着かせることができない、心配するまいと思っても心配してしまうように、理性によって「心理」(というか、「感情」でしょうか・・・)を手なずけることが難しいのですが、それでも、「心理」にすべて取り込まれているわけでもなく、「心配するまいと思っても心配してしまう」自分を見る目があります。

 あるいは、どんなに心がずたずたになっても、ずたずたな心そのものに飲み込まれてしまわずに、「ずたずたで立ち上がれない。けれども・・・」という、もしかしたら希望になるかもしれない芽のようなものがあります。

それをわたしはキリスト教信仰の立場から「霊」と呼んできたのですが(というか、キリスト教が伝統的に使っている「霊」という語を、わたしは個人的にそのように理解しているのですが)、加賀さんがここで言う「魂」とも共通する点があるかもしれない、と思いました。

 阪神淡路大震災の時、加賀さんは精神科医として東京から応援に行き(このことは中井久夫さんの著作にも出てきます)、そのことや、今回の東日本大震災原発事故について思うことも書いておられます。

 わたしは加賀さんの小説を読んだことがないのですが、加賀乙彦入門としても、そして、死や宗教、科学について考えるきっかけとしても、手軽な一冊と言えるでしょう。