52 「自然エネルギーは・・・地域分散・分権型の、人が自然と戯れ共存するための技術」

「東北の震災と想像力――われわれは何を負わされたのか」(鷲田清一赤坂憲雄講談社、2012年3月8日)

 かつて王のイメージからナウシカを論じ(「王と天皇筑摩書房、1988年)、去年「3.11を心に刻んで」(岩波書店)のためには『風の谷のナウシカ』の一節「その人達はなぜ気づかなかったのだろう.清浄と汚濁こそ生命だということに」を選んだという民俗学者・東北学の提唱者、赤坂憲雄さん。

 「弱さ」、「聴く」、「待つ」、「ことば」などをキーワードに、臨床哲学を試みてきた鷲田清一さん。

 この二人の対談とそれぞれのエッセー集。読みやすく、奥が深い。

 2011年3月で大阪大学総長を退任し(25日のすばらしい総長式次も収録されています・・・)、大谷大学に移った鷲田さんの殺風景な研究室を、その秋、赤坂さんが訪ね、「震災の日々が始まってから、たぶん二、三か月過ぎた頃ではなかった、ふと鷲田清一さんと話をしてみたいと思った」(p.240)ことが実現された。

 鷲田さんは、東北の避難所に「心のケア、お断り」の貼り紙がされたことを挙げる。被災した人々は、自分の根底が崩され、まったく変えられてしまって、自分(たち)自身についての「語りなおし」を迫られている。自分の人生の物語を自分自身で編みなおさなくてはならない。けれども、苦しい時には言葉は出てこない。

 「さあ、あなたの苦しみを話してください」と言われて、話せるものではない。しかし、「聴く者は待つということに耐えられずに、つい言葉を迎えにゆく。『あなたが言いたいのはこういうことじゃないの?』と。言葉を呑み込みかけているときに、すらすらとした言葉を向けられれば、だれしもそれに飛びついてしまう。・・・こうして、みずから語りきるはずのプロセスが横取りされてしまう。言葉がこぼれ落ちるのを待ち、しかと受け取るはずの者の、その前のめりの聴き方が、やっと出かけた言葉を逸らせてしまうのだ。・・・言葉を待たずにただ横にいるだけの人の前でこそ人は口を開く」(p.112-113)。

 赤坂さんがこの鷲田さんに語る。「原発事故による見えない放射能の被害というのは、いまだに底が見えない、きっと始まったばかりだとだれもが感じている。まるで先が見えないんですよ。苦しみの質が違います」(p.18)。

 「現実は『てんでんこ』じゃない。『てんでんこ』に徹することがむずかしいから、親は子どもに『津波が来たら、てんでんこだよ』と教えてきた、自分を捨てて逃げることに、あらかじめ許しを与えてきたのではないか」(p.23)。

 「岩手の漁村は、原発を建てることに対して抵抗したという。そこにはどうやら、コミュニティのありようが関係していたらしい。共同体の絆の強さゆえに拒んだということです」(p.59)。

 「お寺と神社、これなしにはコミュニティというものは再生できないんですよ。家をつくり、街並みを整え、インフラを整備しただけでは、コミュニティを再生できない」(p.68)。

 これを読んで思ったのだが、あるキリスト教グループが仙台の被災した農家集落にこの一年間継続的にボランティアを受け入れてもらえているのは、キリスト教の大看板を出したり、布教しようとしたりせずに、ここで赤坂さんが言うようなことを認識していたからではなかろうか。

 赤坂さんの言葉をつづけよう。

 「眼の前に広がっていたのは、(・・・田んぼなどが・・・)かつての「潟」とか「浦」に戻ろうとしている世界でした」(p.100)。

 「飯舘村は外からのお金に頼らずに公共事業とかにも頼らずに、自立的な村づくりをやってきた村として知られています。その村が直撃されてしまった。飯舘村っていうのは、これまでの『福島は恩恵を受けてきたんだから仕方がない』という論理に対して、絶対にそれを許容できないある種の象徴的な存在だと僕は思います」(p.163)。

 「原発というのどういう産業だったのか。植民地的な産業だと言いましたが、実はそれは地場産業を生まないんです」(p.164)。

 「この交付金は時とともに目減りしてゆくから、モルヒネのように次の原発が欲しくなる」(p.186)。

 「原子力エネルギーが中央集権型の、人が自然を究極的に支配する技術であるのにたいして、どうやら自然エネルギーはそれとは対照的に、地域分散・分権型の、人が自然と戯れ共存するための技術(すくなくとも、その可能性を宿した・・・・・・)である」(p.188)。

 「三陸の村や町など、過疎化や少子・高齢化に苦しんできた地域はいま、コミュニティの解体や消滅といった現実に直面させられている」(p.189)。

 「たとえば福島県には原子エネルギーから自然エネルギーへの転換という、まさしく『文明論的な転換』の先駈けの地となり、人類の直面する厳しい課題を真っ向から引き受けるといった、新たな選択が可能となるのかもしれない」(p.233)。

 「環境省の試算によれば、風の強い東北地方では、原発3~11基分が風力でまかなえる、という」(p.236)。

 赤坂さんは、風の谷に東北の未来を見ているのか、と問えば、レトリックに走りすぎているだろうか。

 鷲田さんとの対話を通して(赤坂さんのこれらの言葉には単独のエッセーからの引用も含まれるが)、こう語った赤坂さんは、「きっと東北は神戸との対話を、さらにはチェルノブイリとの対話を必要としている」(p.243)として、この書を結んでいる。