(23)「キリストのために愚かな者」

 4:9-11 

4:10私たちはキリストのために愚かな者ですが、あなたがたはキリストにあって賢い者です。私たちは弱いが、あなたがたは強いのです。あなたがたは栄誉を持っているが、私たちは卑しめられています。

 わたしたちは、信仰を持っていることを自分の栄誉と思ってしまうことがあります。本当の神さまを信じているからわたしは正しい、神さまを信じているからわたしは救われるにふさわしい、そのような思いがわたしたちの中には潜んでいます。それが強くなる時、わたしたちは「キリストにあって賢い者」となってしまいます。キリストを信じている自分は偉い、と思ってしまうのです。コリントの人々もそうだったのでしょう。けれども、パウロは、「私たちはキリストのために愚かな者」だと言います。それは、わたしたちの救いが、正しい知恵、優れた知恵を持つことにではなく、十字架という死刑台で罰を受けたという、キリストの愚かしい出来事にあると信じることです。そして、また、それを語る故に、パウロたちも愚かな者と「卑しめられる」ことを意味します。キリストを信じることは「賢さ」に価値を置くことをやめて、愚かさの中に神さまの愛を見出すことなのです。

(※雑誌「百万人の福音」(2008年9‐12月)に掲載されたものです。新改訳聖書から引用しています。)