775 「精神科臨床医のおそるべき言語教養」・・・ 「私の日本語雑記」(中井久夫、2022年、岩波書店)

 「私は「負うた子に教えられ」を「大蛸に教えられ」と誤解して、どんな蛸かと思っていた時期もあった」(p.153)などというとぼけた一節もあるから、やはり「雑記」でもあるのかもしれない。あるいは、著者にとっては何かを論説しているつもりはないのかも知れない。

 

 けれども、20世紀後半日本を代表する知識人によるこの一冊は、深い思考と教養に基づいていることが、ぼくのような浅薄な人間には、ひしひしと感じられる。

 

 「ドッホ(doch)一つだけを取り上げても「いや、そういうこともあるかもしれないけれども、私の意見は違うし、しばしば感情的にも受け入れ難いのであって、その根拠は今から述べる」という交通標識である」(p.15)。

 

 大学初年の一般教養のドイツ語の授業では「単純な否定ではない。文脈によって、「でも」「しかし」「と言うものの」「一方で」などの意味」程度のことを習ったように思うが、中井さんがdochについて交通標識は「定義」の域に達している。

 中井さんは晩年カトリックの洗礼を受けたようだが、その前から、西洋古典のひとつとして、聖書にも信徒や牧師、神父以上の取り組みをしていたようだ。

 「今なお文語訳の聖書には文語独特の力があって、これで初めて聖書に接した者には、口語訳はとうてい「聖霊に満たされて訳した」とは思えない憾(うら)みを感じてしまう」(p.30)。

 新約聖書ギリシャ語の一形態で書かれた。それとはかなり違う現代ギリシャ語の詩を中井さんは邦訳している。本書にも記されているが、中井さんの翻訳作業は、創作と同じ、あるいは、それ以上の精魂を込めたものであったようだ。

 

 「ヘブライ語のようにほとんどandに当たる接頭辞一つで済ませている荘重な言語もある」(p.33)。

 

 これは旧約聖書の原語のことだ。ヘブライ語を義務で少しだけ学んだ牧師くらいしか知らないこんなことをさらりと書いてみせる中井さんの文学教養に驚く。

 

 ヘブライ語聖書はラテン語に翻訳された。

 

 「私には、最初、エスペラント語訳のようにみえた。ギリシャ語の新約聖書ところどこを苦心して読んでいた時の、胸に迫る感じがないのである」(p.130)。

 

 中井さんはその時代の卓越した精神科医だ。阪神淡路大震災の時も大きな役割を果たしている。その彼が、エスペラント語ギリシャ語、そして、ラテン語で本を読んでいるというのだ。なんという知性だろう。

 

 「翻訳は精読の一つの形」(p.201)。

 

 ぼくはこれにはうなずいた。ぼくも翻訳をしたことがある。スペイン語の神学書だ。外国語で斜め読みなどできない。精読しかない。ぼくにとって精読とはすべての単語を頭の中で日本語に訳すことだった。それを文字にしない手はない。それがぼくの翻訳であった。

 

 「翻訳は外国語能力の応用である部分もあるが、特定の著作や著者への情熱による部分も無視できない」(p.221)。

 

 ぼくがそうだった。二十歳を過ぎたころ「解放の神学」に感動した。ラテン・アメリカの神学だ。原書を読むためにスペイン語を勉強した。スペイン語能力があったから読んだのではない。グスタヴォ・グティエレスの邦訳を何冊か読み、ついに、日本語訳のなかったものをスペイン語から翻訳する機会にめぐまれた。原書では二冊だったが、日本語では四冊になった。これ以外の翻訳はぼくにはない。ああ、日系ペルー人の手記を翻訳して雑誌に掲載してもらったことがあったけど。

 

 「言語を学ぶことは世界をカテゴリーでくくり、因果関係という粗い網をかぶせることである。言語によって世界は簡略化され、枠付けられ、その結果、自閉症でない人間は自閉症の人からみて一万倍も鈍感になっているという。ということは、このようにして単純化され薄まった世界において優位に立てるということだ」(p.45)。

 

 精神科医の横顔がうかがえるパラグラフだ。

 

 「「のである」「なのだ」は自信を奮い起こして前進するための自己激励である」(p.36)。

 

 「「のである」「なのである」は「ここで立ち止まってそれまでの数行を振り返って下さい」という印」(同)。

 

 「「ということである」は「伝聞であるが一般に承認されていることですよ」という意味を含ませている。はっきり証拠を挙げるとか論証は省きますよという意味もある。いちいち論証していては進まないので、本筋を外さないために使う。しかし、自信のなさがどこかに反映しているのかもしれない」(同)。

 

 「「かもしれない」は「そうだ」という断定を反語的に言っている場合から、「責任は負わないけれど、そうではありませんか」という含みまである」(p.37)。

 

 中井さんは患者の心を「見抜いている」のではなく、「ともに揺れている」のだろう。最相葉月さんが「セラピスト」に描いた中井さんの臨床風景が思い出された。

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