767 「神さまの愛が伝わるには」 ・・・ 「キリスト教とローマ帝国 小さなメシア運動が帝国に広がった理由」(ロドニー・スターク、2014年、新教出版社)

 イエス・キリストユダヤガリラヤで活動したのが紀元(AD)30年くらいまでですが、その後、キリスト教会が生まれ、成長します。信者は、紀元40年頃には1000人程度だったのが、紀元350年頃にはローマ帝国の人口の過半数である3400万人に達した、とする説があります。

 これにはどのような理由があるのでしょうか。また、衰退が言われている現在のキリスト教会はどのようなことを学べるでしょうか。

 

1)直接触れ合う親しい人間関係にわたしたちは愛着を感じますが、その愛着がキリスト教の宣教の一因になる、と考えられます。信頼する家族が信じている神だから自分も信じる、ということです。

2)世の中である程度の恩恵に与っていながらも自分は報われていないと感じていた人びとがキリスト教に改宗したことが考えられる、ということです。

 

3)古代ローマ帝国はたびたび疫病に見舞われましたが、多神教ギリシャ哲学はそれを説明することも、癒すこともできませんでした。しかし、キリスト教はその苦しみの理由と希望、未来像を提供できた、ということです。

4)疫病が猛威をふるう中、キリスト教徒は病人との連帯と奉仕でこれに対処し、キリスト教徒以外の人びとより生存率が高く、それがあらたな信者を生んだと考えられます。

 

5)疫病によって社会的ネットワークが破壊されましたが、キリスト教徒のネットワークは生き残り、そこに加わる人びとが多くいて、信者が増えたと考えられます。

 

6)3)~5)と重なりますが、キリスト教徒は、病人、瀕死の者を労わり、死者を丁寧に葬り、そのことに物惜しみしなかったということです。

 

7)キリスト教徒は福祉国家のミニチュア版を社会の中に作り上げました。それは「ひとにしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」(マタイ7:12)、「受けるより与える方が幸いである」(使徒20:35)などの聖書の言葉に基づいていました。

8)「神さまが人を愛する、また、神さまが人を愛するから人は互いに愛し合う」という教えは当時の多神教にはなかったそうです。

 

9)キリスト教徒は「この世の命は前奏にすぎないと確信」(p.116)していたそうです。

 

10)これに関連して、ヤコブパウロ、ペトロと言った紀元60年代の殉教者たちの存在はキリスト教徒を鼓舞したようです。

 

11)キリスト教の歴史や聖書の研究者たちのあいだでは、女性がキリスト教会の始まりから高い地位と権威を持っていたという共通見解がありますが、当時の他の社会では見られない、このような女性の存在がキリスト教会の成長の一因だと考えられます。

 

12)殉教者の多くが女性でした。

 

13)当時の多神教世界では女性は思春期になる前から結婚を余儀なくされていましたが、キリスト教徒の女性はもっと上の年齢になってから結婚し、相手を選ぶこともできたそうです。

 

14)ローマ社会では女性は生まれた時に間引きされたり、成長しても危険極まりない中絶で死んでしまうことが多く、男性の人口の方が多かったのですが、キリスト信者の間では、そのようなことがなく、女性の方が男性より多かったそうです。すると、一定数の女性たちは非キリスト教徒と結婚することになりますが、その夫がキリスト教に改宗するケースが多かったそうです( 1で述べた「愛着」を思い出してください)。

 

15)当時のローマ帝国の諸都市にはさまざまな問題がありました。たとえば、貧しい人や家のない人もたくさんいましたが、キリスト教徒は慈善活動をし、この人びとに希望をもたらしました。あたらしく都市に来た人びとにはネットワークを提供しました。孤児と寡婦も多くいましたが、キリスト教徒はその人びとを支えました。こういう考え方は多神教世界にはなかったそうです。

 

16)多神教の神々は人間に愛情を抱くなどということはありませんでしたが、キリスト教徒の聖書は「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハネ3:16)とあり、これは異教徒の教養人には驚くべきことでした。

 

17)ユダヤ地方から始まり、ローマ帝国の諸都市においても、最初は、その地のユダヤ人の間に伝わったキリスト教でしたが、やがて、その地に集まっていたユダヤ人以外のさまざまな民族にも広まりました。その際に、キリスト教はどんな民族の人びとも受け入れました。

 

18)「何にもましてキリスト教は、気まぐれな残虐さと他人の死に喝采する風潮に満ちた世界に、人間性という概念をもたらし」(p.270)ました。

 

19)教会に人があふれているほど、信者が熱心に讃美歌を歌い祈っているほど、それを見た人びとは、自分はとてもすばらしいところに来ているのだ、という思いを強くする、ということです。

 

 ようするに、神さまは愛の神さまである、という教えと、それに基づいた、信仰者の愛の行動が、神さまを信じる人びとを増やしたのではないでしょうか。


 むろん、現代社会の文脈の中で、教えの表現、伝達方法や愛の行動のあり方をじっくり考えなければならないでしょう。

 

 キリスト教発展の歴史分析として、あるいは、現代のキリスト教宣教のヒントとして、適切でないものもあるかもしれませんが、適切なものも多く見受けられるのではないでしょうか。


 

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