田川建三さんは聖書やキリスト教学者やキリスト教会の問題点をはっきりと指摘するが、良い点は良い点として認めている。
本書をネットの古本屋で買って、20年ぶりに読み返した。届いた本は99%、ぼくが以前に古本屋に売ったものだ。黄色いラインの引き方にぼくの特徴が現れている。
キリスト教会は差別をしてきたし、キリスト教徒、神学者にも差別思想はいろいろ見られるが、はんたいに、良質な平等思想も見られる。
第一章「人間は被造物」においては、聖書の世界創造記事から人間の平等を読みとれることを指摘している。「神が天地万物を創造した、と信じようと思えば、神がすべての人間を創造したということも信じねばならぬ。とすれば、視野はいやでも広がる。自分の民族のことだけ考えている視野からでは、天地万物全人類の信仰は生まれ難い。すべての人間が同様に神によって造られたのであるならば、民族絶対主義なんぞ、けしとんでしまう」(p.7)。
第二章「やっぱり隣人愛」では、始まって数百年のキリスト教では、「よそ者が寄宿できる場所、宿」「必要としている人に必要な事柄」(p.165)を提供していたことが述べられている。
第三章「彼らは何から救われたのか」では、「無料で、神の恵みによって、キリスト・イエスにおける贖いを通して」というローマ書のパウロの表現に代表される考え方も、キリスト教が人気を勝ち得た一因だと言う。「彼岸的救済を何ほどか真剣に考えた者は、嫌でも、他力本願に行き着く」(p.220)。
第四章「終われない終末論」では、ヨハネの黙示録では、どんな民族の人だろうと、そして、(ルカやパウロとは違って)信仰の有無に関係なく、救われる、とくに被抑圧者が救われる話が語られている、と田川さんは指摘している。
こう考えると、田川さんは、やはり、民族、信仰で人を差別しない思想がキリスト教の良い点だと考えているのではなかろうか。むろん、キリスト教には、差別思想も含まれているのだが。