著者と同じ時期に同じ高校で非常勤講師として勤めていたことがあります。話したことはありませんが。著書は1~2冊読んだことはあります。テレビではよくお見掛けします。
この高校での先輩教員が、こんな本があるよ、と紹介してくれたので、読んでみることにしました。この本の第三章は「教員間の格差」であり、非常勤講師への専任教員の態度についてぼくも先輩に愚痴をこぼしていたことがあったからでしょう。けれども、著者はそれを「暴露」的にではなく、冷静に書いています。
「格差社会」という言葉がよく使われましたから、こういう書名にしたのかもしれません。それゆえに、各章も「○○の格差」でそろえられていますが、少し無理があるかもしれません。。
「第一章 中高一貫校が生み出す「公立校格差」」:一貫校ではない公立の中学校間には格差はそんなにあるわけではないでしょう。地域差はあると思いますが。しかし、都立、県立、市立高校は入試をするので格差はあります。公立一貫校の格差も公立高校格差を反映しているものでしょう。
「第三章 教員間の格差」:これは、その通りで、専任教員と非常勤講師では雇用待遇面での格差以外に、専任教員の中には非常勤講師を対等に見ない者がいます。たとえば、専任には専用の机が与えられていても、非常勤にはそれがなく、大きなテーブルを使います。ところが、専任の中には、整理が悪くて、自分の机では作業しにくいということで、自分のものを非常勤の大テーブルにおいて、そこで作業をする者がいます。非常勤には迷惑なことです。注意をするとその時はやめますが、また、同じことをします。
「第四章 校内暴力とモラルの格差」「第五章 携帯いじめと「共感力」の格差」:モラルや共感力について「格差」という言葉を持ち込めば、優劣を持ち込むのと同じことにならないでしょうか。それは、「人間力」とやらを唱え、それを優劣ではかろうとすることに近いように思えます。共感は優劣の「優」であるような「力」ではありません。
「第六章 男女の格差」;これは、ある意味、その通りですが、今は、「多様な性の間の格差」とすべきだと思います。性は男女二分法に収まらないという認識が求められます。
著者自身の言葉で印象に残ったものをあげましょう。
「じゃあ、女性はどうしたら社会で納得してもらえる存在になれるのだろうか。そんな風に大声で叫びたくもなる、というものだ」(p.190)。
著者自身も女性であるゆえに「社会から納得してもらえ」ない経験をつねに余儀なくされているように思います。その中で、取材、著作、メディア出演を重ねておられますが、これは、サクセスストーリーというよりは、「叫び」、そして、以下で触れる「思う」の延長線上にあるのかもしれません。
「「思うこと」が何よりも大切なのだ・・・失ってしまった二つの「思うこと」(問題意識と他者を思う心)を回復する・・・」(p.191)。
その通りだと思います。問題を認識し、意識し、考えること、そういう意味で「思う」こと、そして、自分以外の存在(他者)との倫理と共感が大切だと思います。