イエス・キリストの十字架の死によって、人間の罪が贖われた、罪の奴隷となっている人間が買い戻された、人間の罪が赦された。
キリスト教の信仰はこのような「贖罪信仰」を中心にする、と一般には思われているようですが、著者は、キリスト教の最初からこのような信仰があったわけではない、と言います。
では、最初はどのような信仰だったのでしょうか。
「イエスの宣教を継続したグループ」は「生前のイエスが語り伝え、来るべき「人の子」が実現させるはずの「神の国」にこそ」「真の救い」(p.36)を見出したと著者は言うのです。
そして、この「神の国」は「来るべき再臨の「人の子」イエスが実現させるはずの」(p.37)ものであり、「復活信仰とは、何よりもその熱狂的な再臨待望そのものに他ならなかった」(p.29)というのです。
この信仰は、のちにヨルダン川東岸に拠点を移すグループによってある程度継承されたようですが、エルサレムの教会では、やがて、イエスの死に贖罪論的意義を見出すようになり、第一コリント15:3b-7がその到着点のひとつになるというのです。
ここに贖罪信仰が姿を見せてくるのですが、一コリント15:3b-7はペトロに発すると考えられ、「モーセ律法が「罪」の基準であった」(p.203)と著者は言います。
しかし、パウロはここからさらに進みます。パウロにとって、律法のひとつひとつの戒めを守れないことよりも、律法に対する自分の姿勢が問題となって来るのです。
「自分の律法への熱心そのものの中にこそ、律法を道具にして他者に勝ることで他者を淘汰しようとする根源的なエゴイズムが巣食っているのではないか」(p.239)。
パウロにとっては、戒めに背く一つ一つの行為の贖い、償いよりも、根源的なエゴイズムからの救いが問題となるのです。
本書では、さらに、エルサレム教団の中心人物だった、イエスの兄弟ヤコブ、あるいは、ヨルダン川東岸に移動したユダヤ主義的キリスト教、その関係でナゾラ派、エビオン派、マンダ教、また、青野太潮、高橋哲哉、月本昭男らを引用しつつの贖罪論についての議論などが盛り込まれています。