693「国家の抑圧と資本の搾取を克服する山人の思想」 ・・・ 「遊動論 柳田国男と山人」(柄谷行人、文春新書、2014年)

 著者の最新刊(たぶん)「力と交換様式」を読んでいたら、本書の名前が出てきて、ぼくは、「柳田国男と山人」という言葉に飛びつきました。とくに「山人」に。

 

 というのは、30年以上前、田舎の実家で民俗学の本を読んでいたら柳田の山人という概念が出てきて、平地ではなく山中で生活をする民族が日本列島にいるということに胸が躍ったのですが、インターネットも図書館もなく、調べることもできず、そのままになっていたのです。

 

父にその話をしたら、柳田はそんなことは言ってない、山人などいない、と一蹴されて悔しい思いもしました。これは三十年ぶりにあの想いを晴らせるぞと、すぐにこの本に手を伸ばしました。(父はとうに地上を去っていますが)

 

 柳田は農商務省の官僚だったけれども、この本によれば、農民を苦しめる国家の考え方には反対だったようです。この本にちらちら出て来る柳田の農村観は、ぼくが今参加している「農の神学」の学びの一助にもなりそうです。

 

 柳田は九州の山地のある村に「理想的な「共同自助」の実践」「『ユートピヤ』の実現」「富の均分というが如き社会主義の理想」「平地の農村にない「社会主義」」(p.68)を見出したと柄谷は述べています。

 

 ただし、柳田がこの村で見たのは、山人ではなく山人の影響を受けた山民だそうです。

 

 「山民が現存するのに対して、山人は見つからない。しかし、山人の「思想」は確実に存在する。山人は幻想ではない。それは「思想」として存在するのだ」(p.72)。

 

 柄谷は、A互酬(贈与と返礼)、B再分配(略奪と再分配)(強制と安堵)、C商品交換(貨幣と商品)ではない交換様式をDと呼び、それは「国家と資本を超えるもの」(p.192)だと言います。そして、山人の思想はDに通じるのだと。

 

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