宗教学の学びになるかと思い、入手しました。もともと日本語で書かれた論文(?)、外国語から訳されたもの論文(「論文」だと思うが・・・)、どちらも、わたしには、難しくて、読み難かったです。
また、本書全体がどういうテーマなのかも、よくわかりませんでした。何が言いたいかわからないセンテンス、論文、全体でした。
「寛容さに抗する頑なさは、厳格に排除しなくてはなりません。それはパラドクスです。そこでは寛容さの維持が、非寛容さに支えられています」(p.104)。
「人は何に対しても寛容であるべきだ」と主張する人も、「人は何に対しても寛容であるべきではない」という主張に対しては寛容ではいられない、ということでしょう。もっとも、実際には、寛容な人が、非寛容な人に対して、まあ、それもいいんじゃないの、と構えることもあるように思いますが。
「信者にとって、自身の信仰を相対化することは不可能です」(p.136)。
果たしてそうでしょうか。たしかに、自分の信仰だけが正しいという信者もいますが、人それぞれの信仰がある、自分の信仰だけが全体ではないという信者さんも少なくないでしょう。
それに、たとえば、キリスト教や仏教などの中に、自己の相対化という要件を見出す信者も少なくないでしょう。絶対者の前だけでなく、他者の前での相対化を信仰の一部にする人もいるでしょう。