島さんには人に褒められた記憶がほとんどなかったと言います。しかし、中学生の時、吉田先生から「絵は下手だけど、構図がおもしろい」と褒められたのです。
獄中でそれを思い出し、先生に手紙を書きます。すると、先生が返事をくれたのです。それには、先生のつれあいの短歌が三首添えられていました。それを機に、島さんも短歌を作り始めます。新聞に投稿すると、掲載されるようになりました。それを通して、窪田空穂という歌人とのつながりもできました。
獄中にいるにもかかわらず、いや、獄にはいったからこそ、それまでは薄かった人とのつながりが芽生え、育ったのです。歌が彼の心、精神、祈り、魂、霊になりました。
たまはりし処刑日までのいのちなり心素直に生きねばならぬ
「あたかも侍が、切腹を命じられたことを、武士の誉れとして受け容れたと同じように、死刑を受け容れたのである・・・秋人は、罪を社会や自己が育った貧困など環境のせいにせず、全人格で引き受け、被害者に徹底的に謝罪し、償いとして死刑を甘受し、清々しく処刑台にのぼることを意志したのである」(p.145)。
しかし、ぼくは、別の感想を持ちました。人間はいつか死ぬ。死にたくない死にたくないと言ったままで、あるいは、死を想うことを避けたままで死を迎える人もいるが、ぼくは、今還暦を過ぎて、遠くない日に訪れる死を受け容れたい。秋人さんの歌はその先例のように読みました。
死刑執行の前、秋人さんは数人との面会を許されました。「人々は、順々に祈りをささげた。秋人の祈りが終わると、讃美歌〈いつくしみ深き〉を合唱した。獄の一室に反響して流れ、人々の心を洗っていく」(p.194)。
この澄めるこころ在るとは識らず来て刑死の明日に迫る夜温(ぬく)し
秋人さんの辞世の句です。ぼくも死ぬ前に「この澄めるこころ」があってほしいと願います。しかし、それは、期待はしても前もって確証したり保証されたりするものではなく、おもいがけなく訪れる恩寵なのかもしれません。
「ねがわくは、〇〇や貧しき子らも疎まれず、幼きころよりこの人々に、正しき導きと神のみ恵みが与えられ、わたくしごとき愚かな者の死の後は、死刑が廃されても、犯罪なき世の中がうち建てられますように。わたくしにもまして辛き立場にある人々の上にみ恵みあらんことを、主イエス・キリストのみ名により、アーメン」(p.208)。(※差別語を書き写すのはやめて、〇〇としました)
処刑寸前の秋人さんの最後の祈りだそうです。「処刑の当日も、刑台に向かいながら、「死刑がなくなるといいですね」と、立ち会った人々に声をかけている」(p.209)。
美化するつもりはありません。けれども、ぼくは秋人さんのようにこの世を旅立ちたいと祈ります。