658   「組織神学ではなく教義学」 ・・・「教義学要綱」(カール・バルト著、天野有、宮田光雄訳、2020年、新教出版社)

 教義学と組織神学はどのように違うのだろうか。

 

「神には、創造者、御子キリスト、聖霊の三つの位格がある」

 

「神には、創造者、御子キリスト、聖霊の三つの位格がある、という論がある」

 

 ぼくの中では、とりあえず、前者が教義学であり、後者が組織神学である。

 

 バルトの口調は、全般的には前者のようなものであるように、ぼくには思える。しかし、ぼくは、後者のような言い方の方が好きだ。そして、その論、その表現の背後に、どのような神体験があるのかに関心がある。

 

 じつは、バルトもこう言っている。

 

 「「われ~を信ず」(Ich glaube an, credo in)とは、まさに、〈私は独りぼっちではない〉ということにほかならないのです」(p.27)。

 

 「わたしは、いついかなる状況のもとでも、つまるところ、神とともにあるのです。これこそが、「われは、父・御子・聖霊なる神を信ず」ということの意味であります」(同)。

 

 すると、バルトは「父・御子・聖霊なる神」とは「ともにある神」を体験した表現であると言っているかというと、かならずしもそうでもなさそうだ。

 バルトは、「信ず」をつけて、「われは、父・御子・聖霊なる神を信ず」ることが「神ととともにある」ことだとしか言っていない。

 

 慎重なのだ。「父・御子・聖霊」という聖書の言葉、神の言葉を離れない。同時に、神そのものを人間の体験に還元しない。

 

 そして、本著全体も、人間の体験ではなく、神はこうだ、御子はこうだ、聖霊はこうだ、という書き方に貫かれている。だから、これは、組織神学というよりも、題名通り、教義学の本だと思う。

 

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