この巻には「Ⅰ 自伝的回想」という章があり、そこには「境界に立って」と「自伝的考察」という文章が収められています。このふたつは、ティリッヒを読むうえでの基本であると聞いています。
都会と田園、現実と夢想、理論と実践、他律と自律、神学と哲学、教会と社会、宗教と文化、ルター主義と社会主義、観念論とマルクス主義、故郷と異邦。
これらの教会について述べられていますが、ティリッヒにとって、境界は、ふたつの世界を遮断する越えられない淵とは限らず、ふたつのものの接点、交流所、融合の場でもありえたように思いました。
「有限なるものと無限なるものとの境界に立つという海辺での体験」「根拠であると同時に深淵でもあるような絶対的なものに関する教説・・・自らに安らう有限性のうちへの永遠の突入としての宗教的なるものを考える教説、これらの教説に対して、海はあらゆる生き生きした思想につきものの想像的要素を提供してくれた」(p.15)。
ティリッヒにとって海辺は有限と無限の境界の象徴だったのでしょうか。ここでは、永遠が有限性の境界を突破しています。
「プロテスタント主義は、秘蹟的要素と預言者的要素との、また構成的要素と矯正的要素との不断の緊張のうちで生きていかなければならない」(p.33)。
さらに言えば、ティリッヒにおいては、「あれかこれか」でもなく「あれもこれも」でもなく、両者の境界での緊張も維持されているように思われます。
「史的イエスではなく、聖書的なキリスト像が、キリスト教信仰の基礎なのである。つまり、史学的技術によって月々変遷する技巧的産物ではなく、ありのままの人間的経験に基づく教会的信仰の実像が、人間的思惟と行動との標識なのである。こういう私の態度は、ドイツでは急進的神学者とみなされ、他方アメリカでは、ともすればバルト主義者のうちに数えられるという結果を招いた。しかし、バルト的逆説、義認の逆説に同意するということは、バルト的超自然主義に同意することではない。同様に、自由主義神学の成しとげた歴史的=批判的業績に同意することは、自由主義的教義学に同意することではない」(p.38)。
ティリッヒのこの言葉にはほぼ同意します。人が救われるとすれば、それは、人の心身の努力ではなく神の恩寵によってでしかありえない、という点では、バルトに同意しますが、それが、イエス・キリストにだけ現れた、という点では同意できません。
「マルクス主義のうちにあるのは、暴露ばかりではない。そこには、要求と待望もある・・・マルクス主義のうちには預言者的な情熱がある・・・私は、ユダヤ的・キリスト教的な預言者姿勢に範を求めつつ、社会主義の原理を新たに捉えなおそうと試みたのである。そういう試みを多くのマルクス主義者は、観念論的といい、多くの観念論者は、唯物論的であろうが、本当は、両者の境界に立っているのである」(p.66)。
キリスト教とマルクス主義・社会主義の境界線というか境界地帯には、現在も、歴史上も、多くの人びとが立っているのではないでしょうか。
「この神、預言者の神、イエスの神は、あらゆる宗教的民族主義を打破した。この神は、ユダヤ的民族主義と常に戦うのであり、異教的民族主義はすでにアブラハムに対する命令のうちで否認されている。いかなる教派に属するにせよ、キリスト者にとって、この点は疑問の余地はないと私は思う。つまり、キリスト者は、くり返し故郷を去り、彼に示される地へと出で立ち、彼にとってはまったく彼岸的な約束に信頼しなければならないのである」(p.68)。
そうであるならば、ティリッヒは境界に立ったキリスト者であった、というよりは、キリスト者の本質は境界に立つことにあった、と言うべきでしょう。