606   「政治とは最も弱い生命をまもるいのちの仕事」 ・・・「いのちの政治学 リーダーは『コトバ』をもっている」(中島岳志、若松英輔、2021年、集英社)

 対談ですので、ひじょうに読みやすいです。しかし、十分な準備に基づいていて、とても深いです。

 

 世界の根底には目に見えない大切なものがある、それは、神、仏、あるいは、いのちなどと呼ばれる、政治は、特定の政治集団にでもなく宗教集団にでもなく、そのいのちに根差して、苦しんでいる弱い生命を包むものでなければならない。ぼくはこのようにこの本を読みました。

 この本には、ぼくたちの世界への厳しい言葉があります。

 

 カミュの「ペスト」に触れて、若松さんはこう言います。「今の日本は『伝染病』とファシズム、両方の意味において、物語に描かれている状況とそっくりだと感じました」(p.31)。

 

 厳しい言葉です。しかし、ここは以下のように続きます。「ハンディキャップのある人たち、芸術、人種の交わり、そして、小さな共同体。そういうものをファシズムはとても嫌った。だから、それらを守ることはそのまま、ファシズムに抵抗する力になるんだと思うのです」

 

 「今の私たちが学ぶべきなのは、『リーダーの選び方』なのではないでしょうか。どんなリーダーを選ぶべきなのか。本当のリーダーとはどんな人なのかを知っておくことのほうが、はるかに重要なのではないか」(若松さん)(p.116)。

 これは、有権者を問う言葉です。そして、つぎのように結ばれます。「経済的に弱い立場の人、障害のある人などいろんな人の立場に立ちながら、どんな人が『よいリーダー』なのかを考えることが、リーダーを選ぶときには必要なはずです」(若松さん)。

 自分の利益になる人ではなく、苦しんでいる人にとってよいリーダーを選ぶべきなのです。

 

 「お金をたくさんもっていればいるほど、社会的な評価や信用が高まっていく今の社会は、根本的に間違っているのではないでしょうか。だって、それは『誰かから奪っている』ということなんですから」(若松さん)(P.161)。

 ガンディーの章に出てくる言葉ですが、「奪っている」という語にとても強い心を感じます。

 

 中島さんも鋭い矢を放ちます。「今、国連のSDGs(持続可能な開発目標)なども話題になっていますが、そんなものは結局、資本主義の構造を維持したままうまくやっていくための言い訳に過ぎず、もっと根本的な世界の転換が必要だというのが、フランシスコのいいたいことなのだろうと思います」(p.202)。これは教皇だけでなく中島さんのいいたいことでもあるでしょう。

 

 ふたりのこうした政治にかかわる言葉は、じつは、宗教に、というよりも、宗教、世界の根底にあるいのち、あるいは、霊性につながっています。

 

 「過去、未来とつながる時間軸が失われ、『今がよければそれでいい』と考える人が多くなったからこそ、未来に負の遺産となりかねない原子力発電所が次々とつくられるようなことが起こってきたのだと思うのです」(中島さん)(p.236)。

 

 中島さんのこの言葉の時間軸への言及にすでに霊性が現れていますが、若松さんはこれを受けてこう述べます。「永遠を意識する。あるいは永遠を生きるとは、現象世界においては『無私』である、ということになっていくように思います。永遠が見失われると、『私』が出てきて、先ほどふれた『人間の完全性』が、いたずらに強調されるようになる」。

 

 本書では、聖武天皇空海、ガンディー、教皇フランシスコ、大平正芳らの政治の背景にある霊性が探求されています。


 疫病下で聖武が大仏建立でやろうとしたことは、「『みんなで心の中に大仏をもとう』ということ。まさに『いのちを守ろう』ということだったのだと思います」(中島さん)(p.35)。

 ガンディーの「自治は私たちの心の支配です」という一節を受けて、若松さんはこう言います。「私は、『私たちの心の支配』の『支配』は神の支配、つまり人間より大きな存在による支配を意味していると思っています。ここでの『支配』は、専制的な征服ではなくて、本当の意味での自由をもたらしてくれるものの顕現のこと、為政者が思いのままにしようとする『人間による支配』とはまったく質の違うものです」(p.153)。

 若松さんはカトリックなので、当然、「神の支配」とも訳されるイエスの「神の国」を頭に置いていると思われますが、これは、その「神の国」の良質な解釈にもなっています。

 

 どうしてこの人物が取り上げられるのかという疑問を持つ読者もいると思いますが、それらの人物の採点よりも、わたしたちが「いのちに根差した政治家」を選び、その意味で霊性をもった政治をすべきことに気づくことがこの本の主眼なのではないでしょうか。

 

 「まさに『義』なるものが正義ということなのですが、この『義』とはもともと儒教の言葉です。それも、人間を超えたものの――儒教では『天』というのだと思いますが――はたらきであって、人間はそれを受け止める存在にすぎない、という考え方でした」(若松さん)(p.201)。

 

 「気候変動の問題の根も同じで、本来は人間を超えたもののはからいによる『正義』を実現するという観点が必要なのに、人間にとっての快適さ、人間にとっての利益ばかりが中心に考えられるようになってきた」

 この本は「政治学」のみならず「宗教学」、いや、政治のみならず宗教について、いや世界の根源にあるものを感じる心についての、やさしくもふかい一冊です。


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