585 「説教をできなくなった牧師さんへの良いお知らせ」・・・「演劇入門 生きることは演じること」(鴻上尚史、集英社新書、2021年)

誤読ノート585 「説教をできなくなった牧師さんへの良いお知らせ」

 

「演劇入門 生きることは演じること」(鴻上尚史集英社新書、2021年)

 

 ぼくはキリスト教会の牧師で、毎週、礼拝の脚本、演出、出演を担当しています。つまり、その日曜日の礼拝の流れ・構成を前もって考え、当日は、オルガニストや司会とともに、舞台に立ちます。演劇と共通する部分があるように思っています。

 

 しかし、三十年以上この仕事をしていますが、一向にうまくいきません。身体表現はほとんどなく、セリフは学芸会の棒読みで、脚本はますます書けなくなってきます。

 (「半分、青い」という朝ドラで主人公が漫画家としてデビューするも、だんだんと何も思い浮かばなくなり、書けなくなって、十年後に筆を折った消息は、身につまされました)

 そこで、この本を読んでみることにしました。そして、以下のような点が、今のぼくには非常に参考になりました。

 

 「俳優の感じた感情は、観客に伝わる」(p.55)。教会の礼拝の説教では、聖書をもとに語るのですが、その原稿を書くときも、当日読むときも、牧師が人に伝えたいほど何かを聖書に感じていることが大切なのでしょう。

 

 「参加者がまだよそよそしかったり、疲れている時は、ゆっくりと穏やかに始めたほうがいいでしょう。みんながノッている時は、派手に始めると、より興奮するでしょう」(p.77)。

 

 ぼくは、聴き手の集中力を高めると同時にリラックスしていただくために、説教の初めの方に、笑いをとろうとします。あるいは、中だるみをピンとするために。しかし、聴き手が乗れないときに、無理にそうするよりも、そのタイミングをはかった方がよさそうですね。

 

 「情報量において豊かで、意味において曖昧な演劇は、曖昧だからこそ、観客は感情移入しやすくなります。充分な説明がないからこそ、観客は想像力をより使って物語に参加するのです」(p.109)。

 

 説教では、詳しく丁寧に説明しようとする誘惑がありますが、みなまで言うな、ですね。とくに、結論には聴き手が考える余地を残しておいた方がよいのかも知れません。

 

 「芸術は、『あなたの人生はそれでいいのか?』と挑発するものであり、芸能は『あなたの人生はそれでいいのです』と肯定するものである」(p.140)。

 説教も同じですね。挑発というより、あるいは、難詰、追い詰めではなく、問いかけと、そして、肯定は、聖書そのものの二本柱でもあります。

 

 「予想を裏切り、期待に応える」(p.155)。

 なるほど。ぼくは、聴き手の期待に応えることを意識してきましたが、話の結論においてはそうでも、展開においては、予想を裏切る部分があったほうがよさそうです。いや、結論も、心に届く裏切りなら、むしろよいかもしれません。

 

 「演技はセリフの決まったアドリブ」(p.164)。

 

 ぼくだけでなく、説教の際に(メモ、要旨以上の)完全原稿を用意している牧師は少なくないと思いますが、そこにも、アドリブの余地はあるのですね。アドリブと言っても、内容をいじくることとは限りません。

 

 「必要なのは、読みながら感じることです。感じれば、読み方の速度、表現、言い方などを変えることができるのです。そういう人を『スピーチの達人』と呼ぶのです」(p.165)。

 

 感じながら、あるいは、考えながら、過去に書いた文としてではなく、いまの言葉として発するように読むことなのでしょうね。

 

 「目的が明確になったら、その実現をじゃましているもの、障害を明確にします。どんなものでも、目的が簡単に実現してしまうと、面白さがなくなるからです」(p.177)。

 

 神はあなたを愛している、というメッセージを伝えるには、そのように思えない、感じられない現状を明らかにすることがよいのでしょう。

 

 「求められるのは、崇高な目的を実現しようとする『説明セリフ』ではなく、自然な感情で語られる生の言葉なのです」(p.253)。

 

 この生の言葉とは、24時間テレビや陳腐なドラマのような「シバイがかった」(失礼! ほんとうの意味での芝居の言葉のことではありません)文句ではないでしょう。しかし、説教でも、そういう口調が見られないわけではありません。けれども、求められているものは、その日の聖書の言葉に対する、あるいは、聴き手に対する「自然な感情で語る生の言葉」なのでしょう。

 

 「大きな状況説明から、中間の状況説明、そして、面白かった核心を、冷静にならず、ワクワクドキドキした気持ちのままで語るのです」(p.257)。

 

 これも説教に応用できるでしょう。退屈にならない範囲で、大状況、中状況を説明し、つまり、徐々にズームインし、最後に、その場の神の愛に感じたワクワクドキドキを語るのです。これだけで、説教の半分は構成できるのではないでしょうか。

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