大学のチャプレンであるウィリモンがチャペルで学生相手になした説教と、神学者ハワーワスのそれに対するコメントが交互に載っています。
ウィリモンの説教はよく練られていて、とても参考になりましたが、教会に慣れていない学生たちが退屈しないで聴くかな、と思うようなものもありました。ハワーワスのコメントは、ウィリモンを尊敬しつつ、同時に、鋭く批判するものです。説教と批評という性格の違いからかもしれませんが、ハワーワスのコメントの方はやや難しく感じました。
ハワーワスは、聖書のメッセージを聖書以外の思想などとの共通点から説き明かすことは、還元主義とみなしているようです。たとえば、神の無償の愛を、仏教の「他力」などとの相似から語ることなどは非難されそうです。
「他者から贈られ、受け継がれてきたものの上に立って生きていくということは、現代の教会の営みにとってもっとも強調されるべきテーマなのです」(p.130)。
「わたしたちの人生の一つ一つの具体的な問題は、神の物語を通して見ることによってのみ意味をもつものだと再認識させてくれたのです」(p.217)。
ようするに、聖書のメッセージは聖書の物語に即して、教会のメッセージは教会の持つ物語に即して、語られるべきであり、他のもので、わかりやすく説明しようなどとしてはならない、それは、還元主義の罠だということでしょう。
イエスはたしかにイスラエルの物語、宗教的伝統を踏まえていましたが、それに加えて、野の花や空の鳥、種や麦の成長などを引き合いに出したことは、還元主義にならないのでしょうか。
ぼく自身は、この一年間、聖書以外の、わたしたちの身近な経験を入り口に、聖書のメッセージを紹介するエッセイを毎週書いてきましたが、これはどう評価されるでしょうか。