誤読ノート415 「まず神の愛、そして人間の賛美歌」 「ルターと賛美歌」(徳善義和、日本キリスト教団出版局、2017年)
キリスト教の信仰にもいろいろなタイプがありますが、ぼくの場合は、「神に生かされ、愛され、ともにいていただくのにふさわしい人徳も能力も実績も価値もないぼくだが、神の無償、無条件の愛によってそうされている」ということが根本にあります。
これは、大学生活を過ごした京都のルーテル教会で、久米牧師に導かれたルターについての読書や、それにつづく、ルーテル神学校での学びによるものですが、日本でのルターの勉強は、本書の著者、徳善義和先生によって整えられたと言っても過言ではないと思います。
「礼拝は、人間が神に対して行うサービスではなくて、人間に対する、キリストのできごとを中心とする『神の奉仕』にほかならない」(p.29)。
冒頭に拙い言葉で記したぼくのキリスト教信仰の根本は、いわば、神の恵みが人間の信仰に先立つ、ということですが、徳善先生は、礼拝についても、「神の奉仕」と的確に言い表しておられます。、すなわち、礼拝は、神が人間の下に身を置く愛の行為ということではないでしょうか。
神の恵みの先行、人間の業ではなく神の恩寵による救いという、聖書に由来するルター神学のこの大前提は、本著全編に貫かれています。
たとえば、詩編130編に拠る賛美歌については、「『恵みにより、信仰によって義とされる』という、自らの宗教改革的信仰を明らかにする、詩編本文敷衍の試みをした」(p..44)とあります。
また、ルターは「音楽は『神の賜物』と理解する」(p.82)とあり、「『賛美歌』は、神のことばの説教を聴いた会衆の応答にもあたり、さらにはそれ自身が会衆の口にする、神のことばの説教でありえた」(p.3)とあるように、賛美歌そのものにおいても、人間の作詞作曲に先行して、神の愛があるのではないか、と考えないではいられません。