「空の空。すべては空」、あるいは、「なんという空しさ、すべては空しい」。「コヘレトの言葉」と呼ばれる旧約聖書の一書物は、この句で有名ですが、小友さんは、「空」「空しさ」は「束の間」と訳すことができると言います。そして、人生は束の間であると繰り返すことで、コヘレトは、短い人生の日常の小さな出来事がじつは神からの掛け替えのない恵みであると訴えている、と言います。
それは、現世での富を重視することにもなりますが、小友さんによれば、それは、じつは、コヘレトの同時代に主流であった、富を蔑視し現世を否定するダニエル書のような黙示思想への抵抗だと考えられます。
黙示文学では救いが成就する終末の到来が待望されますが、小友さんによれば、コヘレトの言葉は、「いつ来るかわからない終末に思いを馳せるよりも、目の前のある『今』を生きよ」(p.117)と語っています。
コヘレトの言葉とダニエル書のような相反する宗教思想が旧約聖書に収められているのは、「異なる主張の書を両立させてバランスをとる意識」(p.116)だと小友さんは言います。
その通りだと思います。たとえば、創世記にも、人間の創造について矛盾しているようにも読めるふたつの記述が併存していますし、新約聖書の四つの福音書もたがいに相違がありますが、共存しています。聖書全体にそのようなバランス意識は見られるように思われます。
いつかきっと救われる日が来るからそれを待望しつつ今の苦しい日々を生き延びる。いつかきっとなどと言わず今という一瞬一瞬を大事に生きる。
引き出しはどちらかひとつではなく、いくつかあったほうが、人生はゆたかになるのではないでしょうか。