テレビドラマを観てから、原作のこの本を手に取った。主人公の子どもの中学受験の結果、死者となった別の父子の子どもの母親との再会、ラストシーンなど、感動的だった場面は、ビデオによるオリジナルだったようだ。
原作は派手ではない。奇跡は起こらない。過去は変わらない。重い現実はなお続く。それでも、小さな希望をもって、ふたたび歩もうとする家族の物語。
巻末の斎藤美奈子さんの解説には「父は息子のためを思いながらも彼の気持ちを本当には理解できず、息子の側も父にわだかまりを持っている」(p.472)とある。
この小説に出てくる三組の父子だけではない。父とぼくもそうだし、ぼくと息子は、この真っ最中だ。
どうしたらよいのか。「お父ちゃん、声にはならない。胸の奥で、言った。お父ちゃん、お父ちゃん、お父ちゃん……子どもの頃の呼び方が、『お父さん』に代わったころから、僕たちはうまくいかなくなった。『親父』をへて、『おじいちゃん』に代わった頃から、僕たちはうまくいかなくなった。『親父』をへて、『おじいちゃん』になって、それでも父は僕のことを最後まで『カズ』と呼びつつけていたのだった」(p.440)。
ところが、劇中、自分が死んでいるのか生きているのかわからないカズのところに、これまた死んでいるのか生きているのかわからない父親が現れる。ふしぎなことにカズと同じ38歳。ふたりは「カズ」「チュウさん」と呼び合う。「お父ちゃん」でも「親父」でも「おじいちゃん」でもない。
「どんなに仲の悪い親子でも、同い年で出会えたら、絶対に友だちになれるのにね」(p.444)。
友達のような親子ね・・・。ちょっと、苦手だな。
「チュウさん」。「さん」がつくと先輩後輩かな。父子よりは距離が近いかな。理解が増え、わだかまりが減るかな。