418 「届かなかった否の声に意味はあるのか」 「チェ・ゲバラと共に戦ったある日系二世の生涯 革命に生きた侍」(マリー前村ウルタード、エクトル・ソラーレス前村著、松枝愛訳、キノブックス、2017年)

 人びとや自分を苦しめる者にそれを止めさせようと言動を熾しても、なかなかうまくいかない。ときには、殺されてしまう。では、それは無意味だったのか。

 チェ・ゲバラは1959年、キューバ革命を仲間や民衆と達成し、革命政権の要職に就く。1966年、今度はボリビアで革命を起こすために、山岳地帯でゲリラ活動を展開しようとする。けれども、ボリビア共産党や農民の支持を得られず、1967年10月9日、ボリビア軍につかまり、銃殺される。

 フレディ前村は、日本人移民の父とボリビア人の母の間に生まれる。裕福な家庭であったが、正義感が強く、キューバ医学生として留学。数年学んだ後、ゲバラとともにボリビアで革命を目指すため、身分を隠して、潜入。1967年8月31日、ボリビア軍につかまり、幼少のころの彼を知っていた兵士に銃殺される。

 本書では、父の移民、フレディの幼少期、青年期、キューバ留学、そして、ボリビアでのゲリラ活動が語られている。重ねて、ゲバラボリビアでの行動と最期がつづられている。

 「フレディ前村という人間は若者と新しい世代のための、闘争、献身、勇気の崇高な模範となった」(p.313)という言葉で、この著作は結ばれている。

 ならば、失敗した告発、抵抗、闘いは、けっして無駄ではない。つぎの人の希望と勇気になる。フレディの歩みはゲバラほど大きくなかったかも知れないが、無意味ではなかった。そうであるなら、もっと小さな言動も、相手には届かず、記録にも残らず、誰にも知られないぼくたちの「それはおかしい」の一言にも、やはり希望はあるのではなかろうか。

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