メキシコ人の中には、さまざまな抵抗精神が見られる。
たとえば、メキシコの新聞などはアメリカ合州国批判を盛んにするが、鶴見によれば、それは、メキシコ政府批判の隠れ蓑らしい。
たとえば、メキシコは亡命者を受け入れる。その背景には、メキシコの人びとの亡国の経験があるからだと言う。他方、日本は敗戦後のほんの数年間だけ亡国的な体験をした人びともいるが、そこからは、亡命者、難民を受け入れる精神性は生まれて来なかった。
1521年、スペイン人侵略者コルテスはアステカの首都を征服する。その十年後、あるアステカ人が、聖母マリアを見る。そこに教会ができる。褐色のマリアが描かれる。
ヨーロッパは軍事的にだけでなく、宗教においても、メキシコを抑えたのだろうか。
いや、キリスト教侵攻以前の、先住民の母神が、褐色のマリアとしてよみがえったのだという。
メキシコ人の宗教性は、キリスト教にすっかり転じさせられてしまったのではなかった。むしろ、前者が後者を食べてしまったのだ。