473 「差別の根っこと新しい分析」・・・「福音と世界2019年6月号」

特集は「『差別』再考」。

 

ぼくが差別者であることをあらためて「確認」し、また、差別の「あらたな分析」に触れることができ、まさに「再考」であった。

 

たとえば、パラリンピック・キャンペーンに見られる、障害は「克服される」べきことであり、障害者は「頑張る」べきだという差別思考。「頑張らない」「普通」の障害者の姿は見えなくされてしまう。

 

たとえば、「寛容」。「寛容」は、じつは、自分にとっては「排除したい人びと」なのに、「がまんしている」ことである、との指摘。水田議員(はじめ・・・)にとって、ほんらいLGBTは受け入れがたいが「寛容にも受け入れている」のだから、LGBTが自分たちのために税金を使うことを要求するのは許しがたいのだろうという分析。

 

たとえば、カミングアウトを要求する「理解者」。しかし、それは、自分の理解の及ばない他者への恐れであり、自分にとってわかる存在になれとの要求であるとの指摘。「カミングアウトしてくれなければわからない」という言葉の暴力。

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