466 「体を動かすのが体操、霊を動かすのが霊操」

「霊操」(イグナチオ・デ・ロヨラ、 門脇佳吉訳、岩波文庫、1995年)

 

 体操が体を動かすことであるなら、霊操は霊を動かすことでしょう。

 

 具体的には、たとえば、聖書に出てくるイエスの各場面(・・・誕生、弟子の招き、病人の癒し、嵐を静める、苦しみ、十字架、復活など・・・)を自分の霊(心)の中に思い浮かべることです。

 あるいは、傲慢や激昂や恨みといった自分の心をかき乱すものに抵抗し、キリストや神の愛や慈しみを思い起こし、後者によって前者を打ち負かしてもらうような霊のあり方です。

 

 あるいは、神が、無生物に存在を、植物に成長を、動物に感覚を、人間に知性を与えていることを想い、存在、成長、感覚、知性は神に属するものであるにも関わらず、それを与えることによって、神は被造物の中に住んでいることを想い起こすような霊の作用です。

 こうした霊の動きによって、人間は、自分を湧き出した泉である神とつながり、人間本来の生き方へと導かれるのです。

 

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