誤読ノート463 「地に足の着いた、それでいて珠玉の言葉ファイル」
「希望する力:生き方を問う聖書」(佐原光児、新教出版社、2019年)
この本の書名にも含まれているが、「聖書」などという言葉を耳にすると、神がいるとかいないとか、こうすると神はこうしてくれるとかくれないとか、いわゆる世間が宗教について抱く浅いイメージが繰り返されがちであろう。
けれども、本書は、これまた書名にもあるように、わたしたちの「生き方」を、聖書を読みながら考えるように促してくれる一冊だ。無理に神を信じさせよう、神の存在を説得しようとしているのではなく、誰もが持つ人生の共通テーマ・・・たとえば「人間らしさ」「本当の自分」「何を求めて生きるのか」「本当の幸せ」「命」「旅人」「人間の尊厳」「病や苦しみ」「人種差別」「多様な性」「平和」そして「希望」・・・に、聖書を通してアプローチさせようとしている。だから、読んだ人は、キリスト教徒になるように誘われたなどとはけっして感じることなく、けれども、人生の諸問題についての真摯な考察の出発点に導かれることだろう。
そのような本書には、キリスト教や聖書の教え(もゼロではないが)よりも、「一般の人々の実際の物語」(p.149)が重視されている。「本書で試みたのは、そうした個々人の人生の物語と聖書をつなげて読むという作業です」(同)と「あとがき」にあるとおりであり、「皆さんひとりひとりもまた、自分にしかない体験と聖書とをつなげて読む作業をしていただきたい」(同)という著者の願いが実現可能な内容、構成、執筆になっている。
ところで、著者は、キリスト教の伝統的な概念を、じつにわかりやすい言葉で説明している。
「礼拝とは『出会いの空間』である。それは神や他者との出会いであり、新たな自分との出会いである」(p.12)。
「神に委ねる(祈る)ということは、神にすべてを丸投げすることではなく、神に信頼しながら今まで動かせなかったものを一緒に動かしていく能動的な行いである」(p.14)。
「聖書の『神の国』とは天国や死後の世界のことではなく、神の想いや願いが完全に全うされている世界のことを指す」(p.49)。
本書にはこのような珠玉の、それでいて地に足の着いた言葉がちりばめられている。読まないのはもったいない。