「アンは、暁のように生き生きと星のように美しく、ギルバートを待ち受けていた」「その緑はアンの髪のゆたかな色や、星のような灰色の目や、アイリスのように美しい皮膚を引き立てていた。森の小道の木陰を歩きながらギルバートは横目でちらとアンを眺め、これほど美しく見えたことはないと思った」(p.454)。
姿、想像力、情感。知性、努力、毅然。アンに恋し、アンを愛するのはギルバートだけではない。だからこそ、巻末間際でようやく結ばれたふたりは、全読者の祝福を受けることだろう。
それはさておき、アンのシリーズには、キリスト教のことが良く出てくる。
「あの崖を狂ったようになって海へ駆け下りた豚の話をよむたびに、わたしはハリソンさんの豚が牧師さんをのせて丘を夢中に駆けおりたところを、目に浮かべずにはいられないでしょう」(p.78)。
豚の大群が崖からなだれ落ちて行った話はたしかに聖書にあるが、牧師さんをも勝手にそこに入れてしまうモンゴメリのユーモア。
「天国は教会とおなじじゃないわ、かならずしも」「おんなじでないほうがいいよ。もし、おんなじなら、ぼくは行きたくないな。教会はおっそろしくつまんないもん」(p.211)。
これは、ユーモアというより、風刺に近いかもしれない。たしかに、教会には課題もいろいろある。
「ありがたいことに空気と神様のお救いはいまだにただだもの」(p.241)。
これは、ほとんど神学の域に近い。神の無償の愛。アガペー。「空気と」と付すところには、ユーモア健在。
「リンドの小母ちゃんはこないだ、ぼくが、小母ちゃんはノアの時分にも生きてたのって、訊いたら、すごく怒りました」(p.244)。
子どもも小母ちゃんも、真顔なのが、笑わせる。
「神様と隣人と自分への義務をつくし、愉快にすごすんです」(p.258)。
義務を果たすときも、悲壮感ではなく、笑顔で。
「牧師というものはけっしてお金はたくさんありませんからね」(p.304)。
モンゴメリは、ぼくらの悩みをわかってくれている。
「結婚するってそんなに恐ろしいものじゃないわよ、あんなにたくさんの人たちが式をすませて生きているんですもの」(p.344)。
そうだ、そうだ。アーメン、アーメン。
けれども、モンゴメリは、たしかな信仰の持ち主でもあった。
「天上の生活はこの地上から始めねばならぬ」(p.207)。
「結局、死はルビーが恐れていたような不気味な妖怪としてではなく、親切な友のように訪れ、手をひいて敷居を越えさせてくれたかのようだった」(p.208)。