520 「たとえ世界中が牢屋でも」・・・「ビール・ストリートの恋人たち」 (ジェイムズ・ボールドウィン著、川副智子訳、早川書房、2019年)

 支配者は被支配者を獄に入れる。いや、支配することそのものが支配する相手を獄に入れることなのだ。黒人はすぐに獄にぶちこまれる。ストリートがすでに獄なのだ。


 ボールドウィンは黒人であり同性愛者だ。それは、白人であり異性愛者であることや、日本人であり異性愛者であることと、『本来』は変わりないことなのだが、白人と日本人と異性愛者は、「やつらは黒人だ」「やつらは同性愛者」だという獄を作る。むろん、白人や異性愛者などという獄はない。

 この小説は、アメリカ黒人にとってアメリカ社会は生まれながらの獄であることを明らかにする。どうじに、獄に入れられようとも、子どもはお腹の中で踊り、やがて、娑婆に出てくることを描くことも忘れない。

 ジェイムズ・コーンという黒人の神学者がいる。聖書は黒人解放の書だと説いた。このコーンが、マルコムXが唱えた黒人の美とキング牧師の訴えた愛を備えた作家と評する、現代アメリカの代表作家が、ボールドウィンだ。


 「彼はとても誇り高くて、心配事がたくさんある。そう思うと、彼が拘置所に入れられた一番の理由はそれなんだということがわかる」(p.11)。

 悪い人間だからぶちこまれたのではない。少なくともそれが主たる理由ではない。他者のことを思う心があるからこそ、誰かが誰かを踏みにじることを放置できな気高い精神こそが、いや、それを憎む者こそが、彼をぶちこんだのだ。

 

 「人は縞馬でも眺めるような目であたしたちを見た。当然、縞馬を好きな人がいれば、嫌いな人もいるけど、縞馬に問いかける人はいない」(p.17)。

 黒人を好きだという白人もいれば、嫌いだという白人もいる。しかし、それはモノとしてであり、黒人が自分と同じ人間であると知り、同じ人間として話しかける白人はいない。「黒人も白人と同じ人間だ」という言葉は使っても、その心を持っている白人はいない。

 「みんなはいったいなにをしでかしたのか? 大それたことはしていない。大それたこととは、この男たちをこうしてここにほうりこみ、ずっと閉じ込めておけるだけの権力を握ることをいう」(p.266)。

 みんなが(・・・男たちだけではなかろう・・・)ほうりこまれた「ここ」とは刑務所や拘置所だけのことではない。黒人を差別する社会、国家、組織のことだ。

 仕事ができないから雇わない? 人をそのような理由で排除するだけで、その人と一緒に働こうとしないことをこそ、仕事ができない、と呼ぶべきではないか。

 そのような獄がいくつ重なろうとも、恋人は子を宿す。友が未来を孕む。まだ知らない友が解放を秘める。世界中が獄であろうとも、それは、妨げることはできない。

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